「ハレークリシュナの挑戦」

A.C.バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダ
西山葉子 訳

はじめに

ハレ・クリシュナの挑戦・・・誤って導かれた文明を斬る
ISKCON創設者アーチャーリャ、A.C.バークティヴェダンダ・スワミ・プラブパーダ睨下との会話

中表紙    シュリー・グルとゴーランガにすべての栄光がありますように

バーティヴェダンタ文庫

(目次は割愛しました。)

はじめに

第1段落
世界中に展開しているハレ・クリシュナ運動の創設者アーチャーリャであり、シュリーラ・プラブパーダとして親しまれているA.C.バークティヴェダンタ・スワミ・プラブパーダ睨下は、1965年、インドを離れ、ニューヨーク市へと旅立たれました。そこで彼は一年後に「クリシュナ意識国際協会」を創設なさいました。

彼の目的は、ヴェーダ聖典に正確に記述された、神への愛を育む実際的で完全な方法であるクリシュナ意識を布教することにありました。シュリーラ・プラブパーダはこれらの聖典に解説を付けたおびただしい量の翻訳を著し、かつて例を見ない偉大な宗教学者としての地位を確立なさいました。

彼は、世界中でハレ・クリシュナ運動を主要な宗教的な勢力として確立しつつ、80冊以上の著作においてクリシュナの科学、哲学および娯楽を厳然と提示なさいました。

第2段落
シュリーラ・プラブパーダが力強く説明した、霊的な価値観を剥ぎ取られた社会への霊的な代替物としてのクリシュナ意識は、特に西洋の若者たちを惹きつけました。これらの若者たちの多くは人生の本当の意味を探し求めており、快楽主義的な物質主義、虚無主義的な無神論、そして感傷的で偽善的な半有神論にうんざりしていました。

シュリーラ・プラブパーダの教えと彼の人生は、古代のヴェーダのメッセージは決して時代遅れではなく、すべての場所のすべての人にとって、特に現代において完全に私たちの眼前にある問題と関係があるのだということを論証します。

物質主義的な社会は、人々をその本当の霊的な必要性に対して盲目的でいさせ続け、一方で彼らをますますひどくなる複雑性の中に隷属させます。シュリーラ・プラブパーダは、すべての本当の宗教的な教師の精神において、その物質主義的な社会に対して堂々と批判的な意見を述べられました。

第3段落
シュリーラ・プラブパーダは、現代の社会の霊的な病(ills、悪)に対して、確かに強く、明白に、そして常に一定して批判的に発言なさいましたが、全く悪意のかけらもなくそうなさいました。彼は誰をも無差別に批判することをなさいませんでした。ご自分の弟子たちにも、そうすることをお許しになりませんでした。

個人的な言動において、彼は他者の中の長所を励まされ、短所を咎めることを避けられました。彼はイエス・キリストなどの本物の霊的な教師に対して心からの敬意と賞賛を捧げられました。このように、彼の目的は誰かを怒らせることや咎めることではなく、人々をクリシュナ意識において彼らの本当の幸せな人生に目覚めさせることにありました。

第4段落
シュリーラ・プラブパーダが形式ばらない状況でクリシュナ意識の教義を力強く提示なさった会話の抄録が、「シュリーラ・プラブパーダが斬る(堂々と批判的に意見を述べる)」と題して1977年半ばにハレ・クリシュナ運動の雑誌「バック・トゥ・ゴッドヘッド(至高主の元に帰る)」に掲載され始めたとき、彼は非常に喜ばれました。この「斬る」のコラムは、読者に純粋な献身者が現代の社会をどう見ているかを知る機会を与えます。

第5段落
この本の中に収録された会話は、シュリーラ・プラブパーダの特定の雰囲気を描写しています。読者は、彼がそのような強い調子だけで発言なさっていたと考えるべきではありません。この本の中のほとんどの会話は、シュリーラ・プラブパーダと彼の親密な弟子との間のものです。

非献身者への一般的な布教においては、同じ考えをもっと柔らかい調子で表しておられましたが、哲学的には決して妥協なさいませんでした。シュリーラ・プラブパーダの別の面をご覧になるには、彼の著作に馴染みのない読者は「完璧な問い、完璧な答え」などの、バークティヴェダンタ文庫の他の本を参照なさることをお勧めします。

第6段落
シュリーラ・プラブパーダは、完全なヴェーダのサードゥーです。サードゥーという言葉の意味の一つは、「切る者」です。そして、この小冊子の読者は確かに、生涯続いてきた幻想が切って捨てられるのを経験するでしょう。

「ハレ・クリシュナの挑戦・・・誤って導かれた文明を斬る」は、挑戦的であり、的を得ており、議論を招かずにはおきません。その結論は重みがあります。すべての思慮深い人に本書を隅々まで熟読して頂きたいと願っています。

第一章

1.不完全な世界において完全な知識を見つける

シュリーラ・プラブパーダと、アーヴィンにあるカリフォルニア大学の物理学教授グレゴリー・ベンフォード博士との間のこの会話は、1973年10月にロサンゼルスのハレ・クリシュナ・センターで交わされました。

ベンフォード博士(以下、Dr.B): あなたはおそらく、「邪悪の問題」という西洋の神学理論をご存知であると思います。なぜ邪悪さは存在するのですか?

シュリーラ・プラブパーダ(以下、SP): 邪悪さは善良さの欠如です。ちょうど、闇が太陽光の欠如であるようなものです。もしもあなたが自分自身をいつも光の中に置いておくなら、どうして闇があり得るでしょう?神は完全な善良さです。ですから、もしもあなたがいつも自分自身を神意識の中に置くなら、そうすれば邪悪さはありません。

Dr.B: しかし、なぜ世界は邪悪な人々を含んで作られたのですか?

SP: なぜ警視庁が作られたのですか?なぜなら、必要性があるからです。同様に、一部の生命体はこの物質世界を楽しみたいと思っています。そのため、神はそれをお創りになりました。主はちょうど、自分のいたずらな子供に、遊ぶための別の部屋を与える父親のようなものです。そうでなければ、いたずらな少年たちはいつも彼の邪魔をします。

Dr.B: この世界は、それでは、刑務所のようなものですか?

SP: そうです。刑務所です。したがって、ここには苦しみがあります。刑務所では、あなたは快適さを期待することはできません。苦しみがなければ、囚人たちに教訓がないからです。それはバガヴァッド・ギーターに述べられています。(サンスクリット引用)

「ドゥーカーラヤム」は「苦しみのための場所」を意味します。そして「アシャーシュヴァタム」は「一時的」を意味します。あなたは妥協をして「いいでしょう、私は苦しんでいます。でも、私はそれを気にしません。私はずっとここにいます」と言うことはできません。あなたはここに留まることはできません。

あなたは蹴り出されるでしょう。今、あなたは、自分はアメリカ人だ、偉大な科学者だ、幸せだ、いい給料を得ている、と考えています。それは構いません。しかし、あなたはこの立場に留まることはできません。あなたが蹴り出される日が来るのです。そして、あなたはアメリカ人か、科学者か、猫か、犬か、あるいは半神になるか分かりません。あなたには分からないのです。

Dr.B: 私は多分、無になると思います。

SP: いいえ。それはもう一つの種類の無明です。クリシュナはバガヴァッド・ギーター(2.13)において説明しています。(サンスクリット引用)まず、あなたは少年の体に中に、そして若者の体の中にいて、そして未来には老人の体の中にいます。。。

Dr.B: しかし、老人になった後には、私は無になるかもしれません。

SP: いいえ、いいえ。(サンスクリット引用)死の後で、あなたは別の体に移ります。ですから、あなたは「私は無になります」と言うことはでいません。もちろん、あなたは何を言っても良いでしょう。しかし、法則は違います。あなたは法則を知っているかもしれず、知らないかもしれません。

それは関係ありません。法則は作用します。例えば、もしあなたが「私は火を触ります。それは私に火傷をさせることはありません」と考えるなら、それは事実ではありません。火傷するのです。同様に、あなたは死の後には無があると考えるかもしれませんが、それは事実ではありません。

Dr.B: なぜ私のような者は、、、世界を合理主義的に理解しようとしている者は、そうする方法を全く見出せないように見えるのですか?

SP: あなたは物事を合理主義的に知ろうとしていますが、あなたは正しい教師のもとへ行っていません。

Dr.B: しかし、世界を研究することによって私は知識を得ることができる、と感じますし、その知識を確かめる方法があります。仮説を組み立て、実験を行い、自分の考えを証明し、それからこれらの考えを実際的な世界で使うことができるかを判断します。

SP: それはもう一つの種類の無明です。なぜなら、あなたは自分が不完全であることを知らないからです。

Dr.B: おお、私は自分が完璧でないことを知っています。

SP: それでは、あなたがこの方法やあの方法で世界を研究することが何の役に立つのですか?もしもあなたが不完全なら、結果は不完全です。

Dr.B: それはその通りです。

SP: では、なぜ時間を無駄にするのですか?

Dr.B: しかし、他に知識を見つける方法があるように見えません。

SP: 物質的な知識のためでさえ、あなたは大学に行って教授から学ばねばなりません。同様に、霊的な知識、、、完璧な知識を学びたいときは、あなたは完璧な教師に近づかねばなりません。そうすれば、あなたは完璧な知識を得られます。

Dr.B: しかし、教師が完璧であるとき、人はどうやって(それを)知るのですか?

SP: それは難しくありません。完璧な教師は、もう一人の完璧な教師から学んだ者です。

Dr.B: しかし、それは単に問題を一段階取り除くに過ぎません。

SP: いいえ。すべての階層の教師たちによって受け入れられている一人の完璧な教師、クリシュナがいるからです。インドでは、私たちは今でもヴェーダ文化を見出します(訳注:インドには今でもヴェーダ文化があります)。そして、これらすべてのヴェーダの教師たちは、クリシュナを至高の教師として受け入れます。彼らはクリシュナから教えを受け、それを教えます。

Dr.B: それでは、私が出会う、クリシュナを完璧な教師として受け入れる者は誰であれ、、、その人は完璧な教師なのですか?

SP: そうです。クリシュナの教えを教えているあらゆる人、、、その人は完璧な教師です。

Dr.B: それなら、ここにいるすべての献身者たちは完璧な教師ですか?

SP: そうです。彼らはクリシュナの教えだけを教えているからです。それだけです。彼らは完璧ではないかもしれません。しかし、彼らが話していることは何であれ完璧です。なぜなら、それはクリシュナによって教えられているからです。

Dr.B: それなら、あなたは完璧ではないのですか?

SP: そうです。私は完璧ではありません。私たちのうちの誰も、自分は完璧であると主張することはできません。私たちは非常に多くの欠陥を持っています。しかし、私たちはクリシュナの教え以外のことは何も語らないので、私たちの教えは完璧です。

私たちはちょうど、千ドル(訳注:感覚としては10万円)の郵便為替を持ってくる郵便配達夫のようなものです。彼は金持ちではありません。しかし、もしも彼があなたに封筒をそのままに届けるなら、あなたは利益を受けます。彼は金持ちではありません。

しかし、彼の完璧な行い、彼の正直な行いは、完璧です。同様に、私たちは完璧ではありません。私たちは不完全さに満ちています。しかし、私たちはクリシュナの教え以外のことを教えません。それが私たちの方法です。そして、そのため私たちの教えは完璧です。 

第2章 感覚の満足は鳥のためである

シュリーラ・プラブパーダと彼の何人かの弟子の間の次の会話は、1974年5月のローマでの朝の散策の間に交わされました。

SP:(サンスクリット引用)何度も生まれかわって、人々は単に自分の感覚を楽しもうとしています。何度も生まれかわって、同じことを何度も何度も。同じ食べること、同じ眠ること、同じ性交、そして同じ身を守ること。あるいは人として、あるいは犬として。(サンスクリット引用)何度も何度も、既に噛まれたものを噛む。

半神になろうが、犬になろうが、物質的な世界ではすべての者が、食べること、眠ること、性交をすること、そして身を守ることという、これらの4つのことのための設備を与えられています。実際は、もしも今、何らかの危険が訪れるなら、私たち人間は犠牲者になるかもしれませんが、鳥は直ちに飛び去るでしょう。ですから、鳥は身を守るためのより良い設備を持っています。

そうではありませんか?例えば、突然、私たちに向かって車がまっすぐ突っ込んでくると仮定しましょう。私たちは殺されます。私たちは何もできません。しかし、最も小さな鳥でさえ、「はっ!逃げよう!」彼にはそれができます。ですから、彼の防衛手段は私たちのより優れています。

(改行)  同様に、もしも私たちが性交をしたいなら、私たちは誰かしら相手を見つけ、適切な時間と場所を見つけるなど、そのために手はずを整えなければなりません。しかし、メスの鳥はいつもオスの周りにいます。いつでもです。スズメやハトを見なさい。見たことがありますか?

彼らは直ちに性交する準備ができています。そして、鳥は食べることについてはどうしますか?「おお、果物がある。」直ちに鳥は食べることができます。そして眠ることも簡単(convenient)です。

(改行) ですから、これらの設備は、、、これらがあなたの高層ビルの中にだけあると考えてはいけません。それらは鳥や獣に(も)得られます。高層ビルの中に非常に良いアパートを持っているのでないかぎり、食べること、眠ること、身を守ること、そして性交することなどの、これらすべての設備を持つことができない、というのではないのです。

あなたはそれらをいかなる物質的な体においても、いかなる種においても持つことができます。(サンスクリット引用)「ヴィシャヤ」は、物質的な感覚の楽しみのための設備を意味します。私たちの方法は(サンスクリット引用)です。人は、この満足し得ない物質的な楽しみを放棄し、超越的な喜び、霊的な楽しみの味を味わわねばなりません。それは異なる水準における楽しみです。

(改行) しかし今日では、人々は人生の身体的な概念によってすっかり騙されているので、彼らの唯一の楽しみはこの物質的な、いわゆる「楽しみ」です。ですから、聖典は助言します。「この一時的で劣性な楽しみは、人としてであれ、鳥としてであれ、あるいは獣としてであれ、物質的な生命のいかなる形においても得られます。」

なぜあなたは、これらすべての異なる生命の種において、この同じ満足し得ない楽しみを繰り返し求め続けるのですか?(サンスクリット引用)「これらすべての異なる形において、あなたは何度も何度も同じ馬鹿げた、満足し得ないことをしています。」

(改行) しかし、(サンスクリット引用)物質的な感覚の楽しみによって騙されている者は、自分自身の努力によっても、あるいは霊的指導者からの教えによってさえ、クリシュナ意識になることができません。そして、(サンスクリット引用)これらの愚かな人々は、「人生の問題とは何か」と問うために多くの会議や話し合いをしますが、それでも彼らはクリシュナ意識の方法を習慣づけることができません。

(改行) なぜでしょうか?グリハ・ヴラターナーム。「私たちは、この物質世界で幸せになろう」という決意を持っている限り、彼らはクリシュナ意識を習慣づけることはできません。「グリハ」は「家」、また、「体」も意味します。この物質的な体の中で幸せになろうとしている者は、クリシュナ意識を習慣づけることができません。

なぜなら、アダーンタ・ゴビーハ。彼らの感覚はあまりにも統御がされていないからです。したがって、これらの人々は、繰り返し繰り返し、噛まれたものを噛むという厳しい試練を経験しなければなりません。何度も何度も、同じ感覚の楽しみ、、、食べること、眠ること、性交すること、そして身を守ること。

弟子:では、私たちに課せられた仕事は、人々に彼らはこの物質世界では幸せになれないと納得させることですか?

SP:そうです。そして、彼らは既に非常に納得のいく経験をしています。日々、彼らは非常の多くの政党を設立しており、非常に多くの方法や計画やあれやこれやを作り出していますが、それでも彼らは幸せではありません。それでも彼らは大変な愚か者なので、繰り返し挫折させられるにも関わらず、既に噛んだものを噛み続けています。多少違う形において、同じことを何度も何度も。

(改行) 共産主義者と資本主義者の違いは何ですか?結局、どちらのグループも単に自分たち自身の感覚の満足のために、いかに物事をより良いふうにしつらえるかということを求めています。二つのグループは戦っていますが、すべての人の目標はグリハヴラターナム、「私たちはこの物質世界の中に留まって、ここで幸せになろう」です。

弟子:つまり、もしも十分な食べ物と性交を得られるなら、私たちは幸せになる、ということですね。

SP:それだけです。そしてそれから、人々は性的不能になります。そして彼らは医者に乞います。「私に性の薬を下さい。」分かりますか?(サンスクリット引用)同じ古くてくたびれたものを噛んでいるのです。そして、家での性交にうんざりすると、「売春婦のところへ行こう。裸の踊りに行こう。」彼らには他に考えがないのです。

ですから、この階層の人々はクリシュナ意識を習慣づけることができません。何よりもまず、人は知識を持たねばなりません。「私はこの物質世界とは全く関係がない。私は霊魂である。私の幸せは霊的な世界にある。」そうすれば、彼は本当の人間であり、霊的な発達をすることができます。

(改行) ですから、次の問いは、どうしたら人は霊魂とクリシュナ意識に興味を持つことができるか、ということです。どうやって?これが問いです。動物、および動物のような人々は、興味を持つようになることができません。(サンスクリット引用)

(改行) シュリマッド・バーガヴァタム(7.5.32)には、「これらの悪者たちと愚か者たちの意識は、素晴らしい行いをなさる主シュリー・クリシュナの蓮の御足に向けられることができません。ニシュキンチャナであり、この物質世界において得るものが何もなく(訳注:何も得ようと思わず)、単にクリシュナ(だけ)に興味がある、主の献身者の蓮の御足に彼らがその頭をつけるまでは。」とあります。

もしもあなたがそのような偉大な献身者の蓮の御足や、蓮の御足の埃にさえ、自分の頭をつける機会を得るなら、あなたの霊的な進歩は可能です。そうでなければ、可能ではありません。偉大な献身者の蓮の御足の埃は、あなたを助けることができます。

第3章 私たちは英知(wisdom)に年代をつけることができるか?

シュリーラ・プラブパーダと英国人の学生との間のこの対話は、1973年8月にロンドンの早朝の散策の間に交わされました。

SP:  クリシュナ意識のメッセージは霊的な世界から来ています。それはこの物質世界のものではありません。したがって、時として人々はそれを誤解するかもしれません。ですから私たちはそれを上手に説明しなければなりません。

彼らは、魂とは何であるかということさえ理解できません。偉い偉い科学者たち。偉い偉い哲学者たち。彼らは霊と霊的な世界について何の情報も持っていません。したがって、時として彼らはそれを理解するのに困難を感じます。

客:  最近、私はヴェーダの年代決定について幾らかの研究をしています。ご存知でしょう(訳注:You know, 「あのぅ、」などの特に意味のない言葉でもある)、ハラッパ遺跡(訳注:dig、発掘中の遺跡)とモヘンジョ・ダロからの証拠は、ヴェーダの年代がかつて考えられたよりも実際はかなり新しいものであることを示している、と、一部の考古学者たちは主張しています。これはヴェーダから幾らかの権威を奪うように見えます。なぜなら、それはもはや世界中で一番古い宗教的な聖典であるように見えないからです。

SP:  ヴェーダは「宗教」を意味するのではありません。ヴェーダは「知識」を意味します。ですから、もしもあなたが知識の歴史を辿って起源を突き止めることができれば、そうすればあなたはヴェーダの年代を突き止めることができます。あなたは、いつ知識が始まったか、起源を突き止めることができますか?それを突き止めることができますか?

客:  私は、私たちにできるとは思いません。

SP:  それでは、どうやってあなたはヴェーダの歴史を遡って起源を突き止めることができますか?ヴェーダは「知識」を意味します。それなら、まず最初にどの日付から知識が始まったかを見つけなさい。そうすればあなたはヴェーダの年代を知ることができます。

(改行)  ヴェーダの歴史は、この物質世界の創造の日から始まりました。誰も創造の日付を特定することはできません。創造はブラーマーの生とともに始まります。そしてあなたはブラーマーの一日の長ささえ計算することができません。

ブラーマーの夜の間、宇宙はある程度まで壊滅させられ、彼の昼の間、再び創造が生じます。壊滅には2種類あります。一つの壊滅はブラーマーの夜の間に生じ、もう一つの最終的な壊滅は宇宙顕現全体を滅ぼします。しかし、これらのちっぽけな人々はヴェーダの年代について推量しています。それは滑稽なことです。

(改行)  夜に育ち、一日が始まる頃に死ぬ多くの微生物がいます。一晩が彼らの全生涯なのです。そして、私たちの人生はそのようなものです。私たちに何の歴史が書けるでしょう?ですから、私たちはヴェーダの知識をヴェーダの権威から受け取ります。

(改行)  人はカエルの哲学者であるべきではありません。あなたはカエルの哲学について知っていますか?カエル博士は大西洋を見たことがありませんでした。すると誰かが彼に告げました。「おお、私はものすごくたくさんの水を見ました。」

(改行)  それでカエル博士は言いました。「おお、それはこの井戸より大きいですか?」

客:  はい、それは彼の概念を越えていました。

SP:  そうです。ですから、これらの学者たちは自分たちの井戸の中で朽ちていくカエルのようなものです。彼らがヴェーダの知識についていったい何を理解できるというのでしょう?

客:  はい、分かります。話は変わりますが、人生の最も正しい(true)形、人生の最も純粋な形は、自然に寄り添って生きるそれであり、私たちが自分たちの都会という環境で行っているような自然に逆らったものではない、ということをヴェーダは肯定している、とあなたは感じていらっしゃるのでしょうか?

SP:  おお、そうです。本当の人生は、あなたの身体的な活動を最小化しなければならないことを意味します。時間を節約して、自らを霊的な理解に捧げることができるようにするためです。それが本当の人生です。そして、人生の身体的な概念に基づいた現在の文明は、動物の人生です。それは文明化された人生ではありません。(サンスクリット引用)

文明化された人生は、人が非常に発達して、彼が霊魂について問うときに始まります。しかし、そのような問いがないとき、人々が霊魂とは何であるかと問えないとき、彼らは猫や犬のようなものです。ヴェーダの人生は人に身体的な妨害からできるだけ自由になることを教えます。

したがって、ヴェーダの教育はブラーマチャリャ、(訳注:性的な)禁欲から始まります。分かりますか?しかし、これらの悪者たちは自分たちの性生活を抑えることができません。彼らの哲学は、人は何の規制もなく性生活を続けるべきであり、妊娠が生じれば子供を殺す、というものです。

客:  はい。

SP:  それは彼らの、悪者の哲学です。彼らは、人は訓練によって性生活を忘れることができるということを全く知りません。そして、もしも性生活を忘れるなら、どうして中絶ということがあり得るでしょうか?しかし、彼らはそれができません。したがって、こう言われています。(サンスクリット引用)何の規制もない感覚の楽しみによって、彼らは徐々に動物の人生の水準へ降りて行きつつあります。

(改行)  中絶、すなわち子宮の中の赤ん坊を殺すことに手を染める者は、次の生において子宮の中に入れられ、誰かが彼を殺します。殺した赤ん坊の数と同じだけ、彼は生を受け入れなければならず、殺されます。ですから、何百年もの間、彼にとって昼の光を見ることは不可能になります。彼は子宮の中に留まり、殺されます。人々は自然の法律を知りません。

人は国家の法律を犯すように自然の法律を犯すことはできません。例えば、あなたが誰かを殺すと仮定しましょう。あなたは計略によって逃れることができます。しかし、あなたは自然の法律から逃れることはできません。あなたが殺したのと同じ回数だけ、あなたは子宮の中で殺されなければなりません。それが自然の法律です。

客:  ほんの先週、私はロンドンの主要な病院の一つの中の中絶病棟で働く看護婦と話していました。それはひどいものです。一部の胎児は非常に発達した状態にあるので、明らかに生は高い可能性があります。(訳注:life is a strong possibility、生命が宿っていた可能性が高い、という意味か?)

SP:  可能性の話ではありません。生は性交の一番初めから始まります。生命体は非常に小さいのです。自然の法則によって、彼のカルマに応じて、彼は父親の精液の中に送られ、母親の子宮の中に注射されます。男の精子と女の卵子は乳化し、ちょうどエンドウマメのような形を形作ります。それからそのエンドウマメのような形が徐々に発達します。これはすべてヴェーダ文献に描写されています。最初の段階は、耳、目、鼻腔、口、性器、肛門という9つの穴の形成です。

(改行)  それから徐々に感覚が発達し、6ヶ月半たってすべてが完成したとき、生命体の意識が戻ってきます。体が形成される前は、生命体は麻酔にかかった状態のように無意識の状態でいます。それから彼は夢を見て、それから徐々に意識が戻ります。そのとき彼は「出て行きたくない」と強く願いますが、自然は彼を押し、そして彼は出てきます。これが誕生の過程です。

(改行)  これがヴェーダの知識です。ヴェーダ文献の中に、あなたはすべてが完全に描写されているのを見ることができます。(訳注:ヴェーダ文献の中にはすべてが完全に描写されています。)したがって、どうしてヴェーダが歴史に影響され得るでしょうか?しかし、難しいのは私たちが霊的な事柄について語っているということです。ですから、全くの物質主義者にとっては、それは時として理解するのが困難です。彼らは非常に頭が鈍いので、理解できないのです。

第4章 脳のない社会について

シュリーラ・プラブパーダと国際労働機関のチャールズ・ヘニス氏(以下、Mr.H)との間の次の会話は、1974年5月にジュネーブにおいて交わされました。

Mr.H:  私は国連組織の一部である国際労働機関で働いています。私たちは世界のほぼすべての国の、すべての労働者の保護と福祉に関わっています。

SP:  ヴェーダ文献は、知識層、管理層、商業層、労働層という、4つの社会的な階層を描写しています。労働者は社会という体の脚として働きます。しかし、脚は頭によって導かれねばなりません。社会的な体のその頭は知識階級です。国連は社会の体の脚の世話をしていますが、彼らは脳、知識階級のためには何をしていますか?

Mr.H:  私たちは、労働者が社会の経済的な報酬において、その正しい配分を得るようにしたいと思っています。

SP:  しかし私の論点は、もしも社会の頭をおろそかにするなら、そうすればあなたが脚に注意を払うにも関わらず、物事はうまくいかないということです。なぜなら、脳が正しく機能していないからです。

Mr.H:  しかし、これも社会の重要な側面です。そう思いませんか?私たちは世界の労働者の割り当てを改善することを目的としています。

SP:  アメリカでは、労働者階級は非常に大きな給与を得ています。しかし、彼らは脳によって、知識階級によって導かれていないので、彼らは単に自分たちのお金をお酒を飲むことに費やします。

Mr.H:  良いものが悪用されているということは、それを悪いものにするわけではありません。

SP:  要点は、すべての人が脳によって導かれているべきであるということです。それが社会を組織するための唯一の方法です。何らの知性もなくロバのように一生懸命に働くことの価値は何ですか?

Mr.H:  人に自分の脳を使うように強要することはできません。

SP:  したがって、国連は皆が幸せになるように、社会の脳として機能して他者を導く、理想的な知性的な人々の階層を支えるべきです。

Mr.H:  世界中のすべての社会に、神父などの(priestly)階層、哲学的な指導者たちの階層がいると思いますが。

SP:  神父などの階層!聖書には「汝、殺すなかれ」と書いてあります。しかし、神父たちはこれを自分たち自身の気まぐれに合うように改ざんしました。彼らは、罪のない動物たちを殺すために、何千もの巨大な屠殺場を許すことによって、殺すことを是認しました。

どうしてそのようないわゆる「神父」が導くことができるでしょう?私たちは非常に多くのキリスト教徒の紳士たちと神父たちに、これについて尋ねました。「あなた方の聖書は「汝、殺すなかれ」と教えています。なぜあなた方はこの戒律を犯しているのですか?」

彼らは私にあいまいな答えを与えます。彼らは人々に何が罪深いかということさえ教えていません。それは社会に脳が欠けていることを意味します。

Mr.H:  私の組織は人々の脳とは直接関わっていません。

SP:  あなたの組織は直接関わっていないかもしれません。しかし、もしも人間の社会に脳がないなら、それならあなたがどんなに組織を作っても、人々は決して幸せになれません。もしも人々が社会の知性的な階級によって、徳のある行いと罪深い行いとの間に区別をつける方法を教えられないなら、それなら彼らは動物よりも優れたものではありません。

Mr.H:  もちろん、あなたが徳のある行いと罪深い行いの間の区別についてお話しになるときは、、、

SP:  彼らはもはやそのような区別に気づきません。しかし、私たちのクリシュナ意識教会においては、私は私の生徒たちに一番最初から罪深い行いを避けるように教えます。彼らは、すべての肉食、賭け事、不道徳な性交、そして陶酔物を完全に放棄しなければなりません。

そして今、彼らの性質と行いを他の誰ものそれと比べてごらんなさい。キリスト教の神父たちでさえ驚きます。彼らは言います。「これらの少年たちは、私たちの少年たちです。あなたの運動に加わる前は全く教会に来なかったのに、今では彼らは神に夢中です。これはどういうわけですか?」道では、人々が尋ねます。「あなたたちはアメリカ人ですか?」

(改行)  分かりますか?すべてのことが正しい導きによって改正され得るのです。しかし、もしも社会に脳がないなら、あなたは非常に多くの組織を作ることができますが、人々は苦しみ続けます。それが自然の法律なのです。もしも人々が罪深いなら、彼らは苦しまねばなりません。

Mr.H:  私は、国際的な組織に人々を洗脳する(to indoctrinate、教義などを教え込む)ことを期待できるとは思いません。

SP:  どうしてできないのですか?それは国際的、、、すべての人(のため)であるべきなのです。国連は国際的な活動のためのものです。ですから私たちの提案は、社会の脳として機能する一流の知性的な人々の国際的な組織を国連が維持する、ということです。そうすれば人々は幸せになります。しかし、もしもあなたが手や脚を指示無くして、脳無くして働かせ続けたいと望むなら、そうすれば、あなたは決して成功しません。

Mr.H:  あのう、私は自分のことを人類に仕える従者だと考えています。人々が互いを理解するのを助け、世界のほんの少し良くなることを願って(働いています)。私は今、労働者の教育プログラムを組織しようとしています、、、

SP:  しかし、どうか理解しようとしてください。私は社会の脳という点を強調しています。もしも理想的な階級の人々がいないなら、もしも脳が正しく機能していないなら、それならあなたがどれだけ教育したり組織したりしても、それらは成功しないのです。国連はすべての人間社会のための組織です。しかし、国連には実際に脳の組織と呼ばれ得る部門がありません。

Mr.H:  それはその通りです。

SP:  それが私の論点なのです。

Mr.H:  私たちは、私たちの加盟国の指導者たちの従者であるに過ぎません。もしもニクソン氏と他のすべての国家の頭首たちが脳を持たないなら、それならあいにく国連が彼らに脳を与えるためになし得ることは何もありません。

SP:  それならあなたの大きな組織は単に死体の飾りに過ぎません。脳のない体は死体です。あなたは心ゆくまで死体を飾り立てるかもしれません。しかし、それが何の役に立ちますか?脳、すなわち社会において何が正しくて何が間違っているかを他者に教える階層の人々が欠けているなら、それなら社会的な体は死んでいます。あるいは頭が欠けています。そして、あなたが為す仕事は何であれ、単に死体のための無駄な装飾です。

第5章 簡素な暮らし、高潔な考え

シュリーラ・プラブパーダと彼の何人かの弟子たちとの間の次の会話は、1976年6月にウェストバージニア州(アメリカ合衆国)のニュー・ヴリンダーバンで交わされました。

SP:  西洋の文明は、人工的に暮らしの必要性を高めている、ひどい文明です。例えば、電灯をご覧なさい。電灯は発電機を必要とし、発電機を動かすためには石油が必要です。石油の供給が止まれば、直ちにすべてが止まります。

しかし、石油を得るためには大変な苦労をしてそれを探さねばならず、地面や、時には海の真ん中に深い穴を掘らねばなりません。これはウグラ・カルマ、ひどい仕事です。ヒマの種を育て、油を絞り、芯を入れた壷にその油を入れることで、同じ目的が達せられます。(訳注:ひまし油)

私たちは、あなた方が電気によって明かりのあり方(lighting system)を改良したことを認めます。しかし、ひまし油のランプから電気のランプに改良するために、あなたは非常に大変な労働をしなければなりません。あなたは海の真ん中に行って穴を掘り、石油を引き出さねばなりません。

そして、このようにしてあなたの人生の本当の目的が見失われます。あなたは不安定な立場にいます。生命の様々な種の中で、常に死んだり生まれたりしています。この生と死の循環からいかにして自由になるか、これがあなたの本当の問題です。

そして、この問題は人間の人生において解決されるべきものです。あなたは自己認識のための発達した知性を持っています。しかし、自分の発達した知性を自己認識のために使う代わりに、あなたはそれをひまし油のランプから電気のランプに改良するために使っています。それだけです。

弟子:  人々は、あなたの提案は実際的でないと言うでしょう。それに、電気は明かりを灯すだけでなく、他の多くのこともします。私たちの現代の快適さは、ほとんどが大なり小なり電気に頼っています。

SP:  この人生において、あなたは非常に快適に生きているかもしれません。しかし、次の人生においてあなたは犬になるかもしれません。

弟子:  人々はそれを信じません。

SP:  彼らが信じようが信じまいが、それは事実です。例えば、少年は自分が育って若者になるということを知りません。しかし、彼の母親と父親は知っています。もしも少年が「いいえ。僕は若者にはなりません」と言うなら、それは子供じみています。

父親と母親は少年が育って若者になることを知っており、彼が正しい境遇を得られるように(訳注:properly situated、この場合は明確なクリシュナ意識を持った大人になることを意味するのだと思います)自分たちは彼を教育すべきである、ということを知っています。これが保護者の義務です。

(改行)  同様に、私たちが魂の転生について語るとき、悪者たちは「私はそれを信じません」と言うかもしれません。しかし、それはそれでも事実なのです(校正:原文はピリオドが抜けている)。悪者、狂った者は、転生は事実ではないと言うかもしれません。しかし本当の事実は、彼はこの人生における自分の努力の質に応じて別の体を受け入れなくてはならないというものです。(サンスクリット引用)

弟子:  もしも誰かがこう言ったらどうしますか?「ヒマの種を育てるというこの暮らしは、大変難しい。そして農業も全体的に難しい。工場に行って8時間働いて、自分のお金を持って家に帰って楽しむほうが簡単だ。」

SP:  あなたは楽しむかもしれませんが、楽しむことによってあなたは人生におけるあなたの本当の目的地を忘れます。それは知性的ですか?あなたは自分の次の人生を改善するために人間の体を与えられました。例えば、あなたが次の人生で犬になると仮定しましょう。それは成功ですか?あなたはクリシュナ意識の科学を知らねばなりません。そうすれば、犬になる代わりにあなたは神のようになります。

弟子:  かつて、ロンドンにあるジョン・レノンの屋敷で、あなたはトラクターが今日の非常に多くの問題の原因であるとおっしゃいました。それは若者からすべての仕事を奪い、彼らに仕事を求めて都会へ行くことを強いました。私は、田舎での暮らしはより簡素で、より平和的であると気づきました。霊的な人生について考えるのは、(田舎のほうが)容易です。

SP:  そうです。田舎は(都会より)妨害が少なく、脳への負担が少ないのです。ただ自分の食べ物のために少し働き、その他の時間はクリシュナ意識に携わる。これが理想的な人生です。

(改行)  (シュリーラ・プラブパーダ、一輪の花を差しのべる。)この花の細かい繊維をご覧なさい。誰がこれを、このような細かい繊維を、工場で作ることができますか?そして、色の何と鮮やかなことか!もしもあなたがただ一つの花を研究するなら、あなたは神意識になります。あなたが「自然」と呼ぶ機械があり、そしてこの機械からすべてが生じています。しかし、誰がこの機械を作ったのですか?

弟子:  ロンドンであなたは「人々は、花はクリシュナによって、考えをもって描かれたのだということを知らない」とおっしゃいました。

SP:  はい。あなたは、芸術家なくして花がこれほど美しく現れると思いますか?これは愚かです。自然とは何でしょうか?それはクリシュナの機械です。すべてはクリシュナの機械によって為されています。

(改行)  ですから、ニュー・ヴリンダーバンにおいてあなたの人生の相を改善しなさい。広々とした場所に住み、自分の食物となる穀物を育て、自分の牛乳を作り、時間を節約し、ハレ・クリシュナを唱えなさい。簡素な暮らし、高潔な考え、、、理想的な人生です。

しかし、もしもあなたが自分の人生の人工的な必要性、あなたのいわゆる快適さを増すなら、そしてクリシュナ意識という自分の本当の仕事を忘れるなら、それは自殺行為です。私たちは、この自殺的な方針を止めたいと思っています。もちろん、私たちは人々が現代の技術的な発展を止めることを主張しているわけではありません。

私たちは単に、シュリー・チャイタンニャ・マハープラブ(*脚注)によって与えられた単純な方法を提示するだけです。「ハレ・クリシュナを唱えなさい。」

(*) (シュリー・チャイタンニャ・マハープラブは、ご自分自身の献身者という役割を取られた、主クリシュナご自身です。主は聖なる御名を唱えることを通して神への愛を広めるために15世紀後半にお現れになりました。)

技術的な工場においてさえ、唱えることができます。何の難しいことがあるでしょう?機械のボタンを押し続けながら、同時に「ハレ・クリシュナ、ハレ・クリシュナ、クリシュナ、クリシュナ、ハレ、ハレ。ハレ・ラーマ、ハレ・ラーマ、ラーマ、ラーマ、ハレ、ハレ」と唱えることができます。

弟子:  そして、もしも人々が(ハレ・クリシュナを)唱えることを習慣づけるなら、徐々に彼らは技術を放棄しますか?

SP:  もちろんです。

弟子:  それでは、あなたは彼らの崩壊(destruction)の種を蒔いていらっしゃるのですね。

SP:  いいえ。崩壊ではありません。むしろ建設(construction)です。生と死の繰り返し、常に体を変えること、これが崩壊です。しかし、私たちの方法によって、あなたは永遠に生きます。(サンスクリット引用)(BG4.9)あなたは別の体を得ることがありません。

しかしクリシュナ意識がないと(サンスクリット引用)(BG2.13)、あなたは別の体を受け入れなくてはなりません。それは苦しみを意味します。では、どちらが優れているでしょう?次から次へと物質的な体を受け入れることと、もはや物質的な体を受け入れないことと?

もしも私たちがこの体で自分の苦しみを終えれば、それは知性的です。しかし、もしも私たちが更なる苦しみのために別の体を作り出すなら、それは非知性的です。しかし、クリシュナを理解しない限り、あなたは別の体を受け入れなければなりません。他の方法はありません。

第6章 魂の科学的な証拠

シュリーラ・プラブパーダとインド人の医師との次の会話は、1973年9月にロンドンのハレ・クリシュナ・センターで交わされました。

医師:  あなたは魂が存在すると科学的に証明することができますか?つまり、それは純粋に信仰の問題なのか、それとも、、、

SP:  いいえ。それは科学的な事実です。私たちの科学は完璧です。なぜなら、私たちは知識を完璧な源、クリシュナから受け取っているからです。そして現代のいわゆる科学は不完全です。なぜなら、科学者たちの知識は不完全な源から受け取られるからです。あなたがたとえどんなに偉大な科学者であっても、あなたは自分の感覚は不完全であると認めなければなりません。

医師:  はい。

SP:  ですから、不完全な感覚は不完全な知識しか与えることができません。あなたが科学的な知識と呼んでいるものは偽物です。なぜなら、その知識を作り出した人々が不完全だからです。どうして不完全な人から完全な知識を期待できるでしょう?

医師:  それは程度の問題です。

SP:  私の論点は、もしもあなたが完全な知識を与えることができないなら、あなたから知識を受け取ることが何の役に立つのか、ということです。

医師:  はい、私はその視点を受け入れます。しかし、あなたはどうやって魂が存在するということを証明するのですか?

SP:  完璧な源、クリシュナから、あるいはクリシュナの言葉を繰り返すクリシュナの代理人から情報を受け取ります。それが私たちの証明の方法です。エヴァム・パラムパラー・プラープタム。「超越的な知識は師弟継承によって受け取られねばなりません。」

私たちは悪者から知識を受け取ることをしません。私たちはクリシュナ、至高存在から知識を受け取ります。私は悪者であるかもしれません。しかし私は完璧な源から知識を受け取ってそれを繰り返しているので、私の言うことは何であれ完璧です。

(改行)  子供は無知であるかもしれません。しかし彼は、ある物体が「テーブル」と呼ばれることを学んだので、彼が「お父さん、これはテーブルです」と言うとき、彼の言葉は完璧です。同様に、もしもあなたが完璧な人から(話を)聞いてそれを信じるなら、そうすればあなたの知識は完璧です。

クリシュナは「タター・デハーンタラ・プラープティヒ」とおっしゃいます。「死のあとで霊魂は別の物質的な体に入ります。」私たちはそれを受け入れます。私は不完全であるいわゆる科学者からの証拠は必要としません。

医師:  では、信仰の問題が最初に来るのですね。

SP:  信仰ではありません。事実です。

医師:  はい。しかし、あなたはどうやってその事実を証明するのですか?

SP:  クリシュナがそうおっしゃるということが証拠です。

医師:  (非常に皮肉っぽく)「クリシュナによってそう語られた」。しかし、、、

SP:  それが私たちのヴェーダの証拠です。何かを言うときはいつでも、私たちは直ちにそれを支えるためにヴェーダ文献から引用します。これが証明の方法です。それはちょうど法廷におけるそれのようです。弁護士が法廷で議論しているとき、彼は過去の判決から引用しなければなりません。

そうすれば彼の議論は裁判官によって法的な証拠として受け入れられます。同様に、私たちが何かを言えば直ちに、私たちは即座にヴェーダ文献から引用することによってそれを支えます。それが霊的な事柄における証明の方法です。そうでなければ、聖典は何のためにあるのですか?

もしもそれらが単に精神的な推量の産物であるなら、これらの本が何の役に立つのですか?もちろん、ヴェーダ文献はすべての論理と論法をもってしても完全真理を提示します。例えば、バガヴァッド・ギーター(2.13)において、クリシュナはおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「魂は子供時代から若者へ、そして若者から老年へと自分の体を変えていきます。同様に、魂は死のときに別の体に入ります。」これのどこが非論理的な提示ですか?(Where is the illogical presentation?)これは科学的です。知性的な者にとって、これは科学的な証拠です。そして、もしも彼がそれでも頭が鈍いなら、何ができるでしょう?

医師:  しかし、魂は目に見えません。どうしてあなたはそれが存在するということをそれほど確信できるのですか?

SP:  単に何かが目に見えないということは、それが存在するということを私たちが知り得ない、ということを意味するのではありません。(訳注:「見えないからと言って存在しないというわけではありません。」)心、知性、そして自我というかすかな体もまた、あなたの目には見えませんが、あなたはかすかな体がそこにあることを知っています。

私たちは2種類の体を持っています。土、水、火、空気、そしてエーテルから成る密度の濃い体、そして、心、知性および自我から成るかすかな体です。あなたは土、水などでできた体を見ることができますが、かすかな体を見ることができますか?あなたは心を見ることができますか?あなたは知性を見ることができますか?それでもすべての人が、あなたは心を持っており、私も心を持っていることを知っています。

医師:  これらは抽象的なことですよ?(you know?)

SP:  いいえ。抽象的ではありません。それらはかすかな物質です。それだけです。あなたは単にそれらを見る目を持たないのです。

医師:  お言葉ですが(Well,)、現在では私たちは知性を研究するための3つの方法を持ち合わせています、、、

SP:  ともあれ、それを見ることができないにも関わらず、あなたはかすかな体が存在するということを受け入れます。それが私の論点です。同様に、あなたは見ることができないにも関わらず、魂は存在します。魂は、かすかな体と密度の濃い体によって覆われています。

死として知られているのは、密度の濃い体の滅亡です。かすかな体は残り、彼が再び自分の心の欲求を満たすためにちょうど良い、別の密度の濃い物質的な体を育てることができるところに、魂を運びます。

英国人の客:  かすかな体と魂は同じものだということですか?

SP:  いいえ。魂はかすかな体とは違います。魂は知性よりも繊細です。これらのことは、すべてバガヴァッド・ギーター(3.42)に説明されています。

(サンスクリット引用)

(改行)  まず、無知な理解においては(訳注:in the gross understanding、理解の程度の低い状態では)私たちは体の感覚だけに気づいています。動物のような者たちは、感覚がすべてだと考えます。彼らは、感覚は心によって統御されているのだということを理解しません。もしも人の心が歪んでいるなら、それなら彼の感覚は機能できません。彼は狂人です。ですから、感覚の統御者は心です。そして、心の上にあるのが知性です。そして知性の上にあるのが魂です。

(改行)  私たちは心と知性さえ見ることができません。それでは、どうやって私たちに魂を見ることができるでしょう?しかし、魂にはその存在が、その大きさがあります。そして、もしも人が霊魂について何も理解しないなら、彼は動物よりも優れたものではありません。なぜなら、彼は自分自身を密度の濃い体、および、かすかな物質的な体として認識しているからです。 

第7章 夜と昼の夢

シュリーラ・プラブパーダと大学生の間のこの会話は、1974年1月にロサンゼルスで交わされました。

学生:  ご本の中で、あなたは「この世界は夢のようなものだ」とおっしゃいます。

SP:  そうです。それは夢です。

学生:  どうして夢なのですか?

SP:  例えば、昨夜あなたは幾らかの夢を見ました。しかし今では、それは何の価値もありません。それは去ってしまいました。そして再び、今夜眠るとき、あなたはこれらすべてのことを忘れて夢を見ます。今夜、夢を見ているとき、あなたは「私はこの家を持っている、私には妻がいる」など覚えていません。あなたはすべてを忘れます。ですから、このすべては夢です。

学生:  それは実在している(true)ですか、それとも実在していないのですか?

SP:  どうして実在しているでしょう?夜にはあなたはそれを忘れます。眠っているとき、あなたは自分には妻がいて、自分はベッドの上で眠っているのだということを覚えていますか?夢の中で三千マイルだか離れたところに行って何か全く違うものを見るとき、あなたは自分には住む家があるということを覚えていますか?

学生:  いいえ。

SP:  ですから、これは夢です。今夜、あなたが見ているものは単なる夢になります。ちょうどあなたが昨夜見たもののように。今では、あなたはそれが単なる夢だったことを知っています。ですから、どちらも夢です。あなたは訪問者であるに過ぎません。それだけです。あなたは、この夢やあの夢を見ています。霊魂であるあなたは現実(factual、事実の)です。しかし、あなたの物質的な体と、あなたが見ている物質的な環境、これは夢です。

学生:  しかし私は、この経験は実在であり、私の夢はそうではない、という気がしてます。(訳注:この二つの間の)違いは何なので。。。

SP:  (訳注:話を遮って)いいえ。この経験はすべて非実在です!どうしてそれが実在であり得るでしょう?もしもそれが実在であるなら、どうしてあなたはそれを夜には忘れるのですか?もしもそれが実在なら、どうしてあなたはそれを忘れられるのですか?夜には、あなたはこれらすべてを覚えていますか?

学生:  私は覚えていません。

SP:  それでは、どうしてそれが実在であり得るでしょう?ちょうどあなたが昨夜見た夢を覚えておらず、そのためそれを「夢」と呼ぶように、同様にこの経験も、あなたはそれを夜には忘れるので、これもまた夢です。

学生:  でも私には(訳注:~という気がするのですが)。。。

SP:  (訳注:話を遮って)これは昼の夢、あれは夜の夢です。それだけです。夜に夢を見るとき、そのときあなたはそれを本当のものとして知覚します。そうです。あなたはそれが本物だと思います。それは夢です。しかし、あなたは叫んでいます。「トラがいる!トラだ!トラだ!」

トラはどこですか?しかしあなたはそれを、トラを事実として見ます。「私はトラに殺されようとしている!」しかし、トラがどこにいますか?あるいは、あなたは誰か美しい娘を抱きしめている夢を見ます。その美しい娘はどこにいますか?しかし、それは実際に起こっています。

学生:  起こっているのですか?

SP:  ある意味では、それは起こっています。なぜなら、精液の放出があるからです。夢精です。しかし、その娘はどこですか?それは夢ではありませんか?しかし同様に、このいわゆる現実の人生という経験もまた夢です。あなたは現実という印象を得ていますが、しかしそれは夢です。

したがってそれはマーヤー・スカーヤ、幻想の幸せと呼ばれます。あなたの夜の間の幸せと、あなたの昼間の幸せは、同じものです。夜にはあなたは素敵な美しい娘を抱きしめている夢を見ていますが、そのようなものはありません。

同様に昼間でも、あなたが達成している「発展」は何であれ、これもまたそのようなものです。マーヤー・スカーヤ、あなたは「この方法は私を幸せにするだろう」とか「あの方法は私を幸せにするだろう」などと夢見ていますが、しかしすべてが(the whole process)が単なる夢です。

あなたはこの昼間の夢を現実として受け止めています。なぜなら、それは長く続くからです。夜に夢を見るとき、長さはたった30分です。しかし、この昼間の夢は12時間かそれ以上続きます。それが違いです。これは12時間の夢で、あれは30分の夢です。しかし実際はどちらも夢です。一方は12時間続く夢なので、あなたはそれを本物として受け入れています。それは幻想と呼ばれます。

学生:  幻想ですか。

SP:  はい。。。あなたは動物と自分の間の区別をつけていますが、しかしあなたは、ちょうど動物が死ぬように自分もまた死ぬのだということを忘れています。では、あなたの発達はどこにありますか?あなたは永遠に留まるのですか?あなたもまた死にます。それでは、動物より優れたあなたの発達はどこにありますか?

それはヴェーダ文献に述べられています。(サンスクリット引用)食べること、眠ること、性交すること、および身を守ることというこの仕事は、これは動物の仕事でもあります。そしてあなたも同じことをしています。では、あなたは動物とはどう違うのですか?あなたは死にます。動物(も)死にます。

しかし、もしもあなたが「私は100年して死に、このアリは一時間して死にます」と言うなら、それは(訳注:アリは非現実であり)あなたは現実の中にいる、ということを意味するのではありません。それは時間の問題です。あるいは、この巨大な宇宙をご覧なさい。それもすべて滅ぼされます。あなたの体が滅ぼされるように、この宇宙もまた滅ぼされます。壊滅、崩壊。自然のあり方、、、すべてが崩壊します。

(改行)したがって、それは夢です。それは長く続く夢です。それだけです。他の何でもありません。しかし、この人間の体を持つことの利点は、この夢の中であなたは現実を、神を認識することができるということです。それが利点です。ですから、もしもあなたがこの夢を利用しないなら、それならあなたはすべてを得損なっています。

学生:  では、私は半分眠っているのですか?

SP:  そうです。これが状況です。したがって、ヴェーダ文献は言います。ウッティスター、「起きなさい!起きなさい!」、ジャーグラタ、「目覚めなさい!」、プラーピャ・ヴァラーン・ニボダータ、「今、あなたは機会を得ました。それを活用しなさい」、タマスィ・マー・ジョテル・ガマ、「暗闇の中に留まっていてはいけません。光のもとに来なさい」。これらがヴェーダの命令です。そして私たちは同じことを教えています。「現実がここにあります。クリシュナです。この暗いところに留まっていてはいけません。この、より高い意識のところに来なさい。」 

第8章 肉食の「道徳」

シュリーラ・プラブパーダと(カトリックの)枢機卿(すうきけい・すうききょう)ジャン・ダニエロ猊下(げいか) との間の次の会話は、1973年にパリで交わされました。(訳注:枢機卿は教皇に次ぐ高位)

SP:  イエス・キリストは「汝、殺すなかれ」とおっしゃいました。では、なぜキリスト教徒は動物を殺すことと肉食を行うのですか?

枢機卿:  確かに、キリスト教では殺すことは禁じられています。しかし、私たちは人間の命と動物の命との間には違いがあると信じています。人間の命は神聖です。なぜなら、人は神の姿に似せて作られているからです。したがって、人間を殺すことは聖書において禁じられています。

SP:  しかし、聖書は単に「汝、人間を殺すなかれ」とは言いません。それは広く「汝、殺すなかれ」と言います。

枢機卿:  人間にとって、食べるための食物を得るために動物を殺すことは必要です。

SP:  いいえ。人間は果物と野菜と穀物を食べ、牛乳を飲むことができます。

枢機卿:  肉は無しですか?

SP:  無しです。人間は菜食の食べ物を食べるようにできています。トラはあなたの果物を食べには来ません。彼にあてがわれた食物は肉です。しかし、人間の食物は野菜と果物と穀物と乳製品です。では、どうしてあなたは動物を殺すことが罪ではないと言えるのですか?

枢機卿:  私たちは、それは動機の問題であると信じています。もしも動物を殺すことがお腹を空かせた人に食物を与えるためであれば、それならそれは正当化されます。

SP:  しかし、牛について考えてください。私たちは彼女の乳を飲みます。そして、そのため彼女は私たちの母親です。あなたは同意しますか?

枢機卿:  はい、確かに。

SP:  では、もしも牛があなたの母親であるなら、どうしてあなたは彼女を殺すことを支持することができますか?あなたは彼女から牛乳を取り、そして彼女が年をとってあなたに牛乳を与えることができないとき、あなたは彼女の喉を切ります。それは非常に人道的な提案ですか?

インドでは、肉を食べる人は、ヤギ、豚、あるいは(訳注:どうしてもというなら)水牛など、そのような何らかの低い階層の動物を殺すように助言されます。しかし、牛を殺すことは最も大きな罪です。クリシュナ意識を布教するとき、私たちは人々にどんな種類の肉も食べないように頼みます。

そして私の弟子たちは、この原則に厳密に従います。しかし、もしも特定の状況において、他の者たちが肉を食べることを強いられるなら、それなら彼らは何らかの低い階層の動物の肉を食べるべきです。牛を殺してはいけません。

それは最も大きな罪です。そして、人が罪深い限り、彼は神を理解することができません。人間の仕事は、神を理解して、主を愛することです。しかし、もしもあなたが罪深くあり続けるなら、あなたは決して神を理解することができないでしょう。神を愛することに関しては、何をか言わんやです。

(改行)他に何も食べ物がないときは、誰かは飢えないように肉を食べるかもしれません。それは構いません。しかし、単にあなたの舌を満足させるために日常的に屠殺場を維持するのは、最も罪深いことです。実際は、屠殺場を維持するという、この残酷な慣習が止まるまでは、あなたは人間の社会を持つことさえありません。

そして、生き延びるために動物を殺すことは、時として必要であるかもしれませんが、しかし牛(だけ)は、殺されるべきではありません。それは単に人間の良識です。クリシュナ意識運動においては、私たちの行っていることは、私たちはいかなる動物を殺すことも許さない、というものです。

クリシュナは(サンスクリット引用)とおっしゃいます。「献身の念を持って、野菜、果物、牛乳、そして穀物が私に捧げられるべきです。」(BG9.26)私たちは、プラサーダ、クリシュナの食べ物の残りだけを食べます。木々は私たちに多くの種類の果物を提供しますが、木は殺されません。

もちろん、ある生命体は他の生命体の食糧です。しかし、それはあなたが食べるために自分の母親を殺すということを意味するのではありません。牛は罪がありません(innocent)。彼らは私たちに牛乳を与えます。あなたは彼らの牛乳を飲みます。そしてそれからあなたは彼らを屠殺場で殺します。これは罪深いことです。

弟子:  シュリーラ・プラブパーダ、キリスト教が肉食を認可するのは、生命の低位の種は人間のそれのような魂を持たないという考え方に基づいています。

SP:  それは愚かさです。まず、私たちは体の中の魂の存在の証拠を理解しなければなりません。そうすれば私たちは、人間は魂を持っていて牛は持たないのであるかどうかを知ることができます。牛と人間の異なる特徴は何ですか?もしも私たちが特徴に違いを見つけるなら、それなら私たちは動物には魂がないと言うことができるでしょう。

しかし、もしも私たちが動物と人間は同じ特徴を持っているということを見るなら、それなら、どうしてあなたは動物は魂を持たないと言うことができますか?一般的なしるし(symptom)は、動物は食べ、あなた(も)食べる、動物は眠り、あなた(も)眠る、動物は性交をし、あなた(も)性交をする、動物は身を守り、あなた(も)身を守る、というものです。違いはどこにありますか?

枢機卿:  私たちは、動物には人間と同じような種類の生物学的な存在があるかもしれないことを認めます。しかし、魂はありません。私たちは、魂とは人間の魂であると信じています。

SP:  私たちのバガヴァッド・ギーターは、サルヴァヨニシュ、「すべての生命の種に魂が存在する」と言います。

枢機卿:  しかし、人間の生命は神聖です。人間は動物がするよりも高い水準で考えます。

SP:  その高い水準とは何ですか?動物は自分の体を維持するために食べ、そしてあなたも自分の体を維持するために食べます。牛は野原の草を食べ、人間は近代的な機械がたくさん入った大きな屠殺場からの肉を食べます。しかし、動物は単に草を食べているだけなのに、あなたは大きな機械とゾッとするような光景を持っているからといって、これは、あなたは非常に発達しているのであなたの体の中だけに魂があり、動物の体の中には魂はない、ということを意味するのではありません。それは非論理的です。私たちは、人間においても、動物においても、基本的な特徴は同じであることを見ることができます。

枢機卿:  しかし、人間においてだけ、私たちは人生の意味のための形而上学的な(訳注:哲学的で抽象的な思考)探索を見出すことができます。

SP:  はい。ですから、形而上学的に、なぜあなたは動物の中には魂がないと信じるのかを探し出してください。それが形而上学です。もしもあなたが形而上学的に考えているなら、それは良いことです(that's all right)。しかし、もしもあなたが動物のように考えているなら、それならあなたの形而上学的な研究が何の役に立つのですか?

「形而上学的な(meta-physical)」という言葉は、「物理的な( physical)ものを超えた」、言い換えれば「霊的な」を意味します。バガヴァッド・ギーターにおいて、クリシュナはおっしゃいます。サルヴァ・ヨニシュ・コーンテヤ、「すべての生命体の中に霊魂があります。」それが形而上学的な理解です。 

第9章 女性の解放 (ウーマン・リブ)

シュリーラ・プラブパーダと女性新聞記者との間のこの対話は、1975年7月にシカゴのハレ・クリシュナ・センターで交わされました。

記者:  男性に従属したくない女性に対して、あなたはどんな助言をお持ちですか?

SP:  私の助言ではありません。ヴェーダ文献の助言です。女性は貞淑で、自分の夫に忠実であるべきです。

記者:  合衆国では、私たちはどうすべきですか?私たちは女性を男性と平等にしようとしています。

SP:  あなた方は、決して男性と平等にはありません。なぜなら、非常に多くの点において、あなた方の機能は異なるからです。なぜあなた方は人工的に女性(の機能)は男性のそれと同じであると言うのですか?妻が妊娠しなければなりません。夫ではありません。あなたはどうやってこれを変えることができますか?夫と妻がどちらも妊娠する、それは可能ですか?

記者:  (返事無し)

SP:  可能ですか?

記者:  いいえ。可能ではありません。

SP:  それなら本質的に、一方は他方とは異なるように機能しなければなりません。

記者:  なぜこれが女性は(男性に)従属しなければならないことを意味するのですか?女性は子供を産み、男性は産まないというだけで?

SP:  本質的に、子供を得れば直ちにあなたはあなたの夫からの支えを必要とします。そうでなければ、あなたは困難な目に遭います。

記者:  子供を持つ多くの女性は、彼女たちの夫から何の支えも得ていません。彼女らは何も。。。

SP:  (訳注:話を遮って)それなら彼女らは他の人たちから支えを得なければなりません。あなたはそれを否定することはできません。政府が彼女らに支えを与えています。今日では、政府は恥ずかしい思いをしています(embarrassed)。もしも夫が妻と子を支えるなら、政府は非常に多くの福祉の出費から解放されるでしょう。ですから、それが問題です。

記者:  女性が男性を支えるときはどうなりますか?

SP:  まず、あなたは依存していることを理解しなさい。男と女が結びついた後、子供ができます。そして、もしも男が去るなら、あなたは恥ずかしい思いをします。女性が恥ずかしい思いをします。なぜでしょうか?気の毒な女性は、子供を抱えて恥ずかしい思いをします。

彼女は政府から物乞いをしなければなりません。では、あなたはそれはとても良いことだと思いますか?ヴェーダの考え方は、女性は男性と結婚すべきであり、男性はその女性と子供たちの世話を、自分で、みるべきだというものです(訳注:「自分で」が強調されている)。彼らが政府や社会の重荷にならないようにするためです。

記者:  あなたはどうお考えですか?社会的な不安は、、、

SP:  (訳注:話を遮って)私はこのように考えています。答えなさい!あなたはただ質問を続けるばかりです。私があなたに聞きます。あなたは政府と社会へのこの重荷は良いものと思いますか?

記者:  おっしゃることが理解できません。

SP:  毎年、政府は依存している子供たちを支えるために何百万ドルも支出しなければなりません。夫が妻から去るときに生じるこの重荷は、政府と人々へのこの「重荷」は、良いものと思いますか?

記者:  いいえ。

SP:  それは、女性が従属的であることに同意しないから生じました。彼女は「平等な自由」を欲しています。

記者:  そして、もしも女性が男性に従属的であれば、それは私たちの問題のすべてを解決するのでしょうか?

SP:  そうです。夫は自分の妻が自分に従属的であることを、忠実であることを欲しています。そうすれば、彼は責任を取る用意ができます。男性の精神性と女性の精神性は違います。ですから、もしも女性が男性に忠実であって従属的であることに同意するなら、そうすれば家庭生活は平和的です。そうでなければ夫は去り、女性は子供を抱えて恥ずかしい思いをし、それは政府と一般の人々への重荷になります。

記者:  女性が働くとき、何か悪いことがありますか?

SP:  非常に多くの悪いことがあります。しかし、まず最初のことは、なぜある男の妻と子が政府や社会の重荷になるべきなのですか?まず、これに答えなさい。なぜ彼女は重荷になるべきなのですか?

記者:  (返事無し)

SP:  あなたの答えは何ですか?

記者:  しかし、男性も政府の重荷です。

SP:  社会的な視点から見て、あなたはこの、女性と父のない子供という状況は、とても良いことだと思いますか?

記者:  私が言おうとしているのは、、、これは一部の女性に起こるかもしれません、、、私はそうでない女性について話して、、、

SP:  (訳注:話を遮って)これは一般的なパターンです。あなたは「一部の」と言うことはできません。女性は男性に従属的であるべきです。男性が女性の責任を負えるようにするためです。そうすれば女性は社会にとっての問題ではありません。

記者:  これはすべての女性とすべての男性にとって真実なのですか?

SP:  そうです。それが自然の法律です。犬を例に挙げることさえできます。彼らもまた、自分たちの子供の世話をします。トラも、彼らもまた自分たちの子供の世話をします。ですから、人間の社会において、もしも女性が妊娠させられて、そして男性が去るなら、そうすれば彼女は恥ずかしい思いをします。彼女は政府から物乞いせねばなりません。それはあまり良い状況ではありません。

記者:  子供を持たない女性はどうですか?

SP:  それは別の不自然なことです。時として彼らは避妊具を使い、あるいは彼らは自分の子供を殺します。中絶です。それもまた、あまりよくありません。これらはすべて罪深い行いです。

記者:  何とおっしゃいましたか?

SP:  これらは罪深い行いです。中絶という方法を使って子宮の中の子供を殺すことは。これらはすべて罪深い行いです。人はそのために苦しまねばなりません。

記者:  この国の社会的な不安の原因は、、、

SP:  (訳注:話を遮って)これらのことが原因です。彼らはそれを知りません。

第10章 「あなたは至高存在ではない」

シュリーラ・プラブパーダと彼の弟子の何人かとの間の次の会話は、1975年9月、インドのヴリンダーヴァンで早朝の散策において交わされました。

SP:  生命体と主クリシュナは、どちらも意識に満ちています。生命体の意識は自分の中にあり、クリシュナの意識は偏在です。それが違いです。

弟子:  マーヤーヴァーディー(非人格主義者)たちは、解放されたときは私たちもまた偏在すると言います。私たちはブラーマンに同化し、私たちの個々の自己認識を失います。

SP:  それはあなたがすべてを忘れることを意味します。あなたが持っていた少々の意識は、すべて終わってしまいます。

弟子:  しかし、私たちが忘れてしまうものは、どのみち幻想です。

SP:  もしもそれが解放なら、今、私があなたを殺してあげましょう。あなたはすべてを忘れます。解放です。(笑)

(改行)(通りすがりの人がヒンディー語で歌っている。)彼は歌っています。これが解放です。「おお、我が主クリシュナよ。私はいつ、あなたの蓮の御足に服従するのですか?」これが解放です。ちょうど、完全に自分の両親に服従した子供のようです。彼は解放されています。

彼には不安はありません。彼は自信を持っています。「おお、僕の両親がここにいます。彼らがすることは何であれ、僕にとって良いことです(all right for me、構わない、それでよい)。誰も僕を傷つけることはできません。」

弟子:  非人格主義者たちは、解放はすべての悲惨さを捨てることだと言います。

SP:  そうです。あなたが不安に満ちているなら、あなたの解放はどこにありますか?(訳注:それのどこが解放ですか?)

弟子:  彼らは、これは私たちが至高存在と一つになるなら達成できると言います。

SP:  クリシュナは至高の意識です。もしもあなたが自分の意識を失うなら、どうやってあなたは主と一つになるのですか?

弟子:  それは必ずしも私たちが自分の意識を失うというわけではなく、私たちが至高の意識と同化するということです。

SP:  それはあなたが神になりたいということを意味します。しかし、なぜ今あなたは神とは違うのですか?

弟子:  それは私のリーラー(娯楽)です。

SP:  しかし、もしもそれがあなたのリーラーなら、なぜあなたは解放を得るためにそれほどの苦行をしているのですか?

弟子:  要点は、至高の意識は体に入っていませんが、私たちはたった今、体に入っている、ということです。ですから、至高の意識を得るとき、私たちもまた体から出ます。

SP:  しかし、もしもあなたが至高存在なら、どうしてあなたは体に入ったのですか?何があなたを体に入れたのですか?あなたは体の中にいることを好みません。体は非常に多くの苦しみをもたらします。ですから、あなたは解放を望みます。しかし、誰であれ、あなたを体に中に入れた者、その方が至高存在です。あなたは至高存在ではありません。

弟子:  私は自分で自分を幻想の中に置いたのです。解放されることを楽しむことができるようにするためです。

SP:  なぜ、どの正気の人が生老病死という形で物質自然によって繰り返し蹴られる状態に自分を置くでしょうか?(訳注:正気の人が~をすると思いますか?)(そうすることの)楽しみは何ですか?

弟子:  痛み無くして、どうしてあなたは喜びを経験できるでしょう?

SP:  では、私があなたを蹴ってあげましょう。そうすれば、私が止めたときにあなたは喜びを経験することができます。

弟子:  要点は、私たちがこの世界の苦しみを経験した後で、解放は非常に甘い、ということです。

SP:  しかし、なぜ苦しみがあるのですか?もしもあなたが至高存在であるなら、なぜあなたに苦しみがあるのですか?この無意味なことは何ですか?「苦しみは私のリーラーである」?

弟子:  それは、自分が至高存在であるということを理解していない者だけのための苦しみです。苦しむのは彼らです。しかし、私は苦しみません。

SP:  それでは、あなたはちょうど豚や犬のようなものです。彼らは、これが苦しみであると理解していません。しかし、私たちは理解することができます。したがって、マーヤーヴァーディーたちはムーダー、すなわち苦しみとは何であるか、あるいは楽しみとは何であるかを知らない愚か者と悪者です。(サンスクリット引用)(BG7.25)クリシュナはおっしゃいます。「愚か者たちと悪者たちは、私が至高存在であると知りません。」

(改行)したがって、何度も生まれ変わって苦しみ、様々な無意味なことを語ったあと、本当の知識を持つ者はクリシュナに服従します。(サンスクリット引用)(BG7.19)それが知識です。「私は単に苦しんできました。そして私は言葉を操ることによって自分を惑わそうとしてきました。」人がこの認識に至ったとき、そのとき彼はクリシュナに服従します。

弟子:  では、マーヤーヴァーディー哲学は実際は至高の幻想なのですか?

SP:  そうです。(サンスクリット引用)(Cc.マデャー 6.169)「マーヤーヴァーディー哲学に従う者は絶望的である。」彼は破滅を運命づけられているのです。彼は誤った哲学にのめりこみ、決して本当の哲学を受け入れることができません。マーヤーヴァーディーたちは無礼を犯しています。したがって彼らは永久に無明のうちに留まり、自分たちを神であると考えます。彼らは堂々と布教します。「なぜあなたは自分が罪深いと思っているのですか?あなたは神です。」

弟子:  キリスト教徒は罪の概念を持っています。マーヤーヴァーディーがアメリカへ行ったとき、彼らはキリスト教徒に言いました。「この、罪という考えを忘れなさい。あなたがすることは何であれ、それはそれでよいのです。あなたは神だからです。」

SP:  キリスト教徒の神父たちは、マーヤーヴァーディーの哲学を好みませんでした。マーヤーヴァーディーは仏教徒よりももっと無神論者です。仏教徒はヴェーダの権威を受け入れません。したがって彼らは無神論者と考えられています。

しかし、マーヤーヴァーディーの悪者たちはヴェーダを受け入れ、無神論を説きます。仏教徒たちは、無神論でありながら主ブッダを崇拝します。主はクリシュナの化身です。ですから、いつか彼らは解放されます。しかしマーヤーヴァーディーは決して解放されません。

(改行)クリシュナはバガヴァッド・ギーター(18.66)において、私たちにこう保証なさいます。「ただ私に服従しなさい。そうすれば私はあなたをすべての危険から自由にします。」そして私たちはクリシュナを受け入れます。それだけです。私たちの方法はとても簡単です。子供が歩こうとしていますが、彼はそうできず、転んでいます。父親が言います。「愛しい我が子よ。ただ、私の手をとりなさい。」そうすれば子供は安全です。

(改行)これらのマーヤーヴァーディーは、神の言葉(verdict、表決、意見)に逆らいます。神は「生命体は私の欠かすべからざる小片です」と言い、マーヤーヴァーディーは「私は神です」と言います。それは彼らの愚かさです。もしも彼らが神と等しいのであれば、なぜ神は「私に服従しなさい」と言うのですか?彼らは神ではありません。彼らは単に、主に服従したくないので自分は神と同等であると主張している悪者です。(校正:him→Him)

(改行)ですから、「私は神に服従しなければならない」というこの知識は、何度も生まれ変わった後でのみ得られます。そのとき人はこの愚かな言葉の操りを放棄し、クリシュナ意識において本当の解放を得ます。 

第11章 仕事はいかにして崇拝たり得るか。(どうしたら仕事を崇拝にすることができるか)

シュリーラ・プラブパーダと彼の何人かの弟子たちとの間の次の会話は、1974年6月に(スイスの)ジュネーブでの早朝の散策において交わされました。

弟子:  バガヴァッド・ギーターにおいて、私たちが欲望を失くすべきであるとおっしゃるとき、クリシュナは何を意味していらっしゃるのですか?

SP:  私たちが主に奉仕をすることだけを望むべきである、ということを主は意味していらっしゃいます。シュリー・チャイタンニャ・マハープラブはおっしゃいました。(サンスクリット引用)「私は富は望みません。私は信者(follower)は望みません。私は美しい女性は望みません。」

それでは、主は何を望んでおられるのでしょうか?「私はクリシュナに奉仕をすることを望みます。」主は「私はこれを望みません。私はあれを望みません。私は無になりたい」と言っておられるのではありません。違います。

弟子:  非献身者もまた、「自分は自分の望むものを知っている」と言います。しかし、彼は「私はクリシュナ無しで同じ良い結果を得ることができる」と言います。

SP:  それなら彼は愚か者です。なぜなら、彼は良い結果とは本当は何なのか知らないからです。今日は彼は、ある「良い結果」を求めて大変な苦労をしていますが、明日は彼は違う何かを欲するでしょう。なぜなら、彼は死ぬときに体の変化を経験しなければならないからです。

時として彼は犬の体をとって、ある「良い結果」を求め、そして時として彼は、半神の体をとって別の「良い結果」を望みます。ブラマターム・ウパリ・アダーハ、「彼は宇宙を上へ下へとさまよっています。ちょうど、、、あれは何ですか?」

弟子:  大観覧車です。

SP:  そうです。時として彼は高位に上げられ、それから再び下りてきて犬や豚の姿にならねばなりません。これが続いているのです。

(サンスクリット引用)

「何度も生まれ変わって宇宙を上へ下へとさまよったあと、非常に幸運な者は、霊的指導者とクリシュナの慈悲によって献身生活に至ります。」(チャイタンニャ・チャリタームリタ、マデャー19.151)

弟子:  非献身者はこう言うでしょう。「私たちもまた、良い奉仕をしています。あなた方は食べ物を配っており、私たちもまた食べ物を配っています。あなた方は学校を開いており、私たちもまた学校を開いています。」

SP:  はい。しかし、私たちはクリシュナ意識を教える学校を開いており、他方であなた方の学校は幻想を教えています。問題は、悪者たちはバークティ(献身奉仕)とカルマ(物質的な活動)の違いを理解することができないということです。バークティはカルマのように見えますが、カルマではありません。バークティにおいて、私たちもまた働きますが、クリシュナのためです。それが違いです。

(改行)例えば、アルジュナはクルクシェトラの戦いで戦いましたが、クリシュナのために戦ったので、彼は偉大な献身者として受け入れられています。クリシュナは彼に言いました。(サンスクリット引用。BG4.3)「アルジュナ、あなたは私の親愛なる献身者です。」

アルジュナは何をしましたか?彼は戦いました。それだけです。しかし彼はクリシュナのために戦いました。それが秘密です。彼は戦士としての戦闘の役割(capacity、機能、役割、能力)は変えませんでしたが、自分の精神性を変えました。最初は彼はこう考えていました。

「なぜ私は自分の親族を殺すのでしょう?戦場を去り、森へ行って物乞いになろう。」しかし、クリシュナは彼に戦うことを望みました。ですからついに彼は服従し、クリシュナへの奉仕としてそれ(戦うこと)を行いました。自分の感覚の満足のためではなく、クリシュナの感覚の満足のためです。

弟子:  では、感覚の満足は献身奉仕の中にさえあるのですか?

SP:  そうです。カルミー(物質主義者)は自分の感覚の満足のために働き、そしてバークタはクリシュナの感覚の満足のためにはたらきます。それが非献身者と献身者の違いです。どちらの場合でも感覚の満足はありますが、あなたが自分の個人的な感覚の満足のために働くとき、それはカルマであり、あなたがクリシュナの感覚の満足のために働くとき、それはバークティです。バークティとカルマは似ているように見えますが、質は違います。

(改行)もう一つの例はゴピーたち(クリシュナの牛飼いの女友達)の振る舞いです。クリシュナは美しい少年で、ゴピーたちは主に魅了されていました。彼女らは主を自分の恋人として欲しており、そして彼女らは夜中に主と踊るために家を出ていきました。

ですから、彼らは罪深く振舞ったように見えます。しかしそうではありません。なぜなら、中心はクリシュナだったからです。したがって、チャイタンニャ・マハープラブはお勧めになります。(サンスクリット引用)「ゴピーたちによってなされたよりも優れた崇拝の相はありません。」

(改行)しかし、悪者たちは考えます。「おお、これは非常によろしい。クリシュナは夜中に他の男たちの妻と踊った。だから私たちもまた、何人かの娘たちを集めて踊ろう。そして私たちもまた、クリシュナのように楽しもう。」これはクリシュナのゴピーたちとの娯楽のひどい誤解です。

この誤解を防ぐために、(シュリマッド・バーガヴァタムの著者である)シュリーラ・ヴャーサデヴァは、クリシュナの至高の人格神としての立場を描写するために9巻を捧げました。それから彼はクリシュナのゴピーたちとの振る舞いを描写します。しかし、悪者たちは直ちに10巻へ、クリシュナのゴピーたちとのやりとりへ飛びます。このようにして彼らはサハジヤー(クリシュナを真似る者)になります。

弟子:  そのような人々は、何らかの方法でクリシュナと関わっているので、心の変化を経験しますか?

SP:  いいえ。カムサもまたクリシュナと関わりましたが、敵としてです。それはバークティではありません。バークティは好意的な献身奉仕(サンスクリット引用)でなければなりません。人はクリシュナを真似したり、主を殺そうとしたりするべきではありません。それもまたクリシュナ意識ですが、それは好意的ではなく、したがってバークティではありません。それでも、クリシュナの敵は解放を得ます。

彼らは何らかの方法でクリシュナのことを考えたからです。彼らは非人格的な解放を得ますが、彼らは霊的な世界においてクリシュなの娯楽に入ることは許されません。その恵みは、クリシュナへの純粋な愛情ある奉仕をするものだけに与えられます。 

第12章 キリスト教徒、共産主義者、および牛を殺す者について

シュリーラ・プラブパーダと彼の何人かの弟子との間の次の会話は、1975年3月に(アメリカの)ダラスで早朝の散策のときに交わされました。

SP:  キリスト教徒は言います。「私たちは様々な罪を犯すことができます。しかしキリストが私たちの罪を自分の身に負います。彼は契約したのです。」彼らはこのようなことを言いませんか?

弟子:  はい。

SP:  気の毒なキリストは彼らのすべての罪深い行いのために苦しまねばなりません。「彼は私たちを罪から救いたかったのです」と彼らは言います。「ですから彼は私たちに、私たちは罪を犯そうが犯すまいが気にしなくてよい、という命令(injunction、通常は禁止命令を指す)を与えました。」これは偽善です。

(改行)メルボルン(オーストラリア)で、私は何人かの神父たちによって、話すために招かれました。(訳注:何人かの神父たちに招かれて話をしました。)彼らは私に尋ねました。「あなたは、なぜキリスト教は衰えているのだと思いますか?私たちは何をしたのでしょうか?」

ですから私は答えました。「あなた方は何をしていないのですか?あなた方は、自分たちはイエス・キリストの信者(follower)であると主張します。それなのに、あなた方は様々な罪深い行いをしています。したがって、あなた方はまもなくこの偽善を終了しなければなりません。」彼らはこの答えをあまり喜びませんでした。

(改行)「私たちは何をしたのでしょうか?」と彼らは尋ねます。彼らは非常に多くの罪深いことをしましたが、彼らは自分たちが罪深いのだと認めません。これは偽善です。十戒において、聖書は明らかに言います。「汝、殺すなかれ。」しかし、彼らは従いません。それは罪深いのです。

(改行)それと知って罪を犯す者。もしも人が無知から罪深い行いをするなら、何らかの譲歩があるかもしれません。しかし、彼らはそれと知って罪を犯しています。彼らは牛を殺すことは罪深いと知っており、それでもそうしているのです。

弟子:  ほとんどのキリスト教徒は、肉を食べることは罪深いと考えません、シュリーラ・プラブパーダ。

SP:  それは、聖書を誤って解釈したことによって、神父たちが悪者であるということを意味します。(訳注:それは神父たちが悪者であるということを意味します。彼らは聖書を誤って解釈したからです。)この偽善が宗教の名のもとで続いているのです。

しかし、そのような考え方を布教する者は、どれだけ長く他者を騙すことができるでしょうか?あなたはすべての人をしばらくの間、騙すことができます。そしてあなたは一部の人をいつも騙すことができます。しかし、あなたはすべての人をいつも騙すことはできません。

弟子:  共産主義者たちもまた、キリスト教は偽善であると議論します。彼らは、それは「人々のアヘン」だと言います。ですから彼らはそれを撲滅したいと思っています。

SP:  共産主義者たちはキリスト教で悪い経験をしました。そして彼らは宗教には「必要性」があるということについて、何の情報も持ちません。ですから彼らは、すべての宗教を撲滅したいと思っています。

弟子:  共産主義者たちは、世界の問題は非常に大きいので、人々が世界政府に忠誠を与えない限り問題は解決しない、と言います。

SP:  私もそう言います。クリシュナが至高主です。主の庇護のもとに入れば、すべての問題は解決します。それを私たちもまた教えています。

弟子:  しかし、共産主義者たちは、クリシュナが至高主として認められなければならない、という点を見落としました。

SP:  (サンスクリット引用)「唯一の主はクリシュナです。他のすべての者は主の従者です。」これがバガヴァッド・ギーターの中心的な原則です。この原則を受け入れれば、すべては良くなります(all right)。直ちに、です。

(改行)もしもバガヴァッド・ギーターを研究するなら、あなたは反論することのできる言葉や、あなたにとって良くない言葉を、一つも見つけられないでしょう。バガヴァッド・ギーター全体が実際的です。人間の文明に非常に適しています。まず、クリシュナはあなたに、自分は誰であるかを学ばねばならない、と教えます。あなたは体ではありません。あなたは体の中にいる霊魂です。

誰がこれを知っていますか?これはクリシュナがバガヴァッド・ギーターにおいて教える最初の教えです。あなたが自分は体ではなく、自分は体の「中に」いるのであるということを理解すれば、直ちにあなたは霊とは何であるかを理解します。そうすれば、あなたの霊的な知識はさらに発達します。しかし、悪者たちは霊とは何なのか知りません。ですから彼らは何らの霊的な知識も持ちません。

弟子:  彼らは、牛は霊を持たない、と考えます。

SP:  どうして彼らは牛には霊がないと言えるでしょうか?あなたは霊です。あなたの体は動いています。あなたは働いています。あなたは食べています。あなたは話しています。そして、霊魂があなたの体から去れば直ちに、体は死んだ物質になります。手や脚はまだそこにありますが、それらは動きません。なぜなら、霊魂が去ったからです。

(改行)では、牛の体とあなたの体の違いは何ですか?人間らしい論理を使いなさい。(Come to human reasoning.)あなたの体の牛の体の間に、根源的な違いがありますか?

弟子:  いいえ。しかし今では(彼らは)人間もまた霊魂を持たないと言います。彼らは、牛は霊魂を持たないので、私たちは牛を食べることができ、そして人間(も)魂を持たないので、、、

SP:  、、、あなたは子宮の中の赤ん坊を殺します。無明の発達が文明の発達として受け入れられます。なぜでしょうか?霊的な知識がないからです。

(シュリーラ・プラブパーダと弟子たち、ゴルフをしている男性の横を通り過ぎる。)

弟子:  あの男性は、自分は一生懸命働くことから引退したと思っています。しかし、彼はまだボールを穴に入れるためだけに一生懸命働いています。

SP:  彼は他に何をすることができるでしょうか?彼は、他に霊的な人生という仕事があることを知りません。それは彼の無知です。ニューヨークで電気的な故障(訳注:electric failure、電気的不全。停電は power failure。しかし現象に違いはないようです。)があったとき、統計は、より多くの女性たちが妊娠したと表しました。(訳注:より多くの女性たちが妊娠したという統計が出ました。)

人々は暗闇の中で他に何をすることができるでしょう?「セックスをしましょう。」それだけです。霊的な知識無しでは、人間はちょうど動物のようになるのです。

第13章 性交と苦しみについて

シュリーラ・プラブパーダと彼の何人かの弟子との間の次の会話は、1974年1月にカリフォルニア州のヴェニス海岸での早朝の散策において交わされました。

弟子:  シュリーラ・プラブパーダ、ここカリフォルニアでは、離婚率はほぼ50%です。なぜそうなのだと思われますか?

SP:  インドでは、結婚している者は嘆き、結婚していない者も嘆く、という諺があります。結婚している男は嘆きます。「なぜ私は結婚したのだろう?私は自由なままでいられたのに。」そして、結婚していない者は嘆きます。「おお、なぜ私は妻を娶らなかったのだろう?私は幸せになっただろうに。」(笑)

(改行)性交によって人は子供をもうけます。そして子供ができれば直ちに苦しみがあります。子供は苦しみ、彼の世話をするために両親もまた苦しみます。しかし、再び彼らは次の子供を作ります。したがって、シュリマッド・バーガヴァタム(7.9.45)には、(サンスクリット引用)と書かれています。この、子供を作るということに関しては、非常に多くの困難や問題があります。しかし、それを知っているにも関わらず、人はまた同じことをします。

(改行)この物質的な世界では、性交が主要な幸せです。それは主要な幸せであり、そしてそれは非常に忌まわしいものです。幸せとは何でしょうか?(サンスクリット引用)それは、痒みを止めるために両方の手をこするようなものです。性交は非常に多くの悪い結果をもたらしますが、それでも人は満足しません。今では、避妊具や中絶など、非常に多くのものがあります。マーヤー(幻想)は非常に強いのです。彼女は言います。「そうです、これをして巻き込まれなさい。」

(改行)したがって、バーガヴァタムは(サンスクリット引用)と言います。ディーラ、冷静で正気の者は、性の欲求というこの痒みを我慢します。この痒みを我慢することのできる者は、非常に多くの問題をまぬがれることができます。しかし、そうでない者は直ちに巻き込まれます。不正なものであろうが正当なものであろうが、性交は問題です。

弟子:  シュリーラ・プラブパーダ、私たちがこちらの方向へ歩いたのは初めてです。すべてが違って新鮮に見えます。

SP:  (笑)これが物質的な人生です。私たちは時としてこっちにさまよい、時としてあっちにさまよいます。そして私たちは考えます。「おお、これは新しい。」ブラーマーンダ・ブラミテ。私は何か新しいものを見つけようとして宇宙全体をさまよっています。しかし、新しいものは何もありません。すべてが古いのです。

(改行)年をとると、人は一般的に「おお、この人生は非常に問題が多い」と考えます。ですから彼は新しい体に、子供の体に着替えることを許されます。子供は世話をされ、彼は「今では僕はとても快適な人生を送っている」と考えます。しかし、再び彼は年を取り、うんざりします。ですからクリシュナは親切にも「いいでしょう、体を替えなさい」とおっしゃいます。

これは(サンスクリット引用)、既に噛まれた物を噛むことです。クリシュナは生命体に多くの設備を与えられます。「いいでしょう、木になりなさい。いいでしょう、ヘビになりなさい。いいでしょう、半神になりなさい。いいでしょう、王になりなさい。いいでしょう、靴直し職人になりなさい。天国のような惑星に行きなさい。地獄のような惑星に行きなさい。」

非常に多くの種類の生命がありますが、そのすべてにおいて、生命体はこの物質世界の中に閉じ込められています。彼は自由を探し求めていますが、彼は自由はクリシュナの庇護のもとでのみ得られるということを知りません。それを彼は受け入れません。

(改行)この物質世界における苦しみを見て、マーヤーヴァーディー(非人格主義者)たちは生命の種類を無くしたいと願い(ニルヴィセシャ)、仏教徒たちはそれを無にしたいと望みました(シューニャ)。しかし、どちらの提案も可能ではありません。

しばらくの間は種類のない状態に留まるかもしれませんが、再びあなたは種類を欲するようになります。偉い偉いサンニャースィー(放棄階級者)が、(サンスクリット引用)(「非人格の完全存在が実在(true)であり、この宇宙は非実在(false)である」)について非常に多くを教えます。

しかし、再び彼らは政治的および社会的な活動をするためにブラーマンから下りてきます。彼らは長くブラーマンに留まることはできません。ですから彼らはこの物質的な多様性を受け入れなければなりません。なぜなら、多様性が楽しみの母だからです。したがって、私たちの提案はこれです。本当の多様性、クリシュナ意識に至りなさい。そうすればあなたの人生は成功するでしょう。

弟子:  ほとんどの人は、この人生において大いに楽しもうとしているので、彼らは来世のことを考えることさえしません。

SP:  彼らは来世とは何かを知らないので、それを無にします。彼らは言います。「来世は存在しません。」そして、そうすることで彼らは満足しています。ウサギが何らかの危険を見るとき、それは目を閉じて、危険はないと考えます。これらの悪者たちはそのようなものです。それはすべて無明です。

弟子:  ストア哲学と呼ばれる哲学があります。それは、人生は苦しみのためにあるので、人は単に強くなり、大いに苦しむべきである、と言います。

SP:  では、彼らの考え方は、何の抗議もせずに苦しむことができる者、その人が第一級の人物である、というものです。そのような哲学を信じることは、人はどうやって苦しみを止めるかを知らない、ということを意味します。ある部類の哲学者たちは、苦しみは退散させられ得ず(訳注:苦しみを消すことはできず)、したがって私たちはそれに耐えるために強くなければならない、と言います。

そして別の部類の哲学者たちは、人生は苦しみに満ちているので、私たちは人生を無にすべきだ、と言います。しかし、どちらの部類も、苦しみのない本当の人生があるということについて何の情報も持ちません。それがクリシュナ意識です。

人生はあります。しかし苦しみはありません。アナンダマヨ・ビャーサート。単に喜びあるのみ。踊ること、食べること、そして真言を唱えること。苦しみはありません。誰がそれを拒否しますか?そのような愚か者がいますか?

弟子:  人々は、そのような人生が存在することを否定します。

SP:  しかし、そのような人生があると仮定しましょう。そこではあなたは単に踊り、食べ、そして永遠に幸せに生きます。あなたはそれを受け入れたくはないですか?

弟子:  誰もがそれを受け入れたいと思うでしょう。しかし、人々はそれが存在しないと考えます。

SP:  ですから、私たちの最初の提案は、幸せだけがあり苦しみがないという、このような人生がある、ということであるべきです。誰もが「はい、それはいいですね。(Yes, I would like it.)」と言うでしょう。彼らは受け入れます。

不幸にして、人々は繰り返し繰り返し騙されてきたので、彼らはこれはもう一つの詐欺だと考えます。したがって、クリシュナ意識を布教することは、人々に、幸せに満ちて苦しみが無い人生が存在するのだ、ということを納得させることを意味します。

弟子:  私たちもまた騙しているのではない、ということを、何が彼らに納得させるでしょうか。(訳注:何によって納得させたらいいのでしょうか?)

SP:  彼らを私たちの寺院に来て私たちの献身者に会うように招きなさい。(訳注:寺院に招いて献身者に会わせなさい。)私たちは真言を唱え、踊り、そしておいしい食べ物を食べています。これは実際的な証明です。

弟子:  しかし、人はこれらのことを認識する前に浄化されなくてもいいのですか?

SP:  いいえ。私たちは言います。「来て、私たちと一緒にハレ・クリシュナを唱えなさい。あなたは浄化されるでしょう。私たちはあなたから何も望んでいません。私たちはあなたに食べ物をあげます。私たちはあなたにすべてをあげます。単に、来て私たちと一緒に唱えなさい。」これが私たちのメッセージです。

第14章 技術と失業について

シュリーラ・プラブパーダと彼の弟子の一人との間のこの対話は、1974年6月に(スイスの)ジュネーブで交わされました。

弟子:  最近の講演で、インドの政治家がインドの人々の80%は田舎の村に住んでいると言いました。彼の提案は、農場での技術を増やすことでした(訳注:農業の工業化を進めること)。手で麦を刈り取らなければならない代わりに、人々は動力設備のついた刈り取り機を持つでしょう。そして、鋤(すき)を引くために(去勢した)雄牛を使わなければならない代わりに、彼らは耕運機を使うでしょう。

SP:  インドでは、多くの人が既に失業しています。ですから、そこにもっと多くの機械を導入することは、あまり良い提案ではありません。100人の人の仕事が、機械を使う一人の人によってなされ得ます。しかし、なぜそれほど多くの人々が失業しているべきなのですか?なぜ一人の代わりに100人の人を働かせないのですか?

ここ西洋でも、多くの失業者がいます。あなた方の西洋の国々では、すべては機械によってなされるので、あなた方は多くのヒッピーたちを、イライラが募って何もすることのない若者たちを作り出しています。それは別の種類の失業です。ですから、多くの場合、機械は失業を生じさせます。

(改行)すべての人が仕事を持っているべきです。そうでなければ、問題が生じます。「怠惰な脳は悪魔の作業場だ。」何もすることのない人々が非常にたくさんいるとき、なぜ私たちはもっと多くの失業を生じさせるために機械を導入すべきなのですか?最良の方針は、誰も失業しているべきではない、というものです。誰もが忙しくしているべきなのです。

弟子:  しかし、こう言って議論する者もいるかもしれません。「機械は私たちを非常に多くの時間のかかる労働から自由にします。」

SP:  何のために自由にするのですか?お酒を飲むことと、様々な無意味なことをするためにです。この自由の意味は何ですか?もしもあなたがクリシュナ意識を培うために人々を自由にするなら、それは話が別です。もちろん、誰かが私たちのクリシュナ運動のところに来るときは、彼もまた、いつも何らかの仕事をしているべきです(He should also be fully engaged.)。

この運動は、食べることと眠ることのためではなく、クリシュナのために働くことのためにあります。ですから、このクリシュナ意識においてであろうが、外の社会においてであろうが、方針は、誰もが仕事を与えられて忙しくしているべきである、というものです。そうすれば良い文明が生じるでしょう。

(改行)ヴェーダ文明では、すべての人がブラーマナ(識者、あるいは教師)、クシャトリヤ(軍事的あるいは政治的な指導者)、ヴァイシャ(農民あるいは商人)、あるいはシュードラ(労働者)として働いているようにするのは、社会の長の義務でした。

すべての人が働かねばなりません。そうすれば平和が訪れるでしょう。現時点では、非常の多くの技術が原因で失業があり、多くの怠惰な人々がいます。ヒッピーたちは怠惰です。それだけです。彼らは何もしたくありません。

弟子:  もう一つ、「技術があれば、私たちはもっとずっと良く、もっとずっと効果的に働くことができるので、働いている人の生産性が格段に向上する」という議論もあるかもしれません。

SP:  もっと多くの人が仕事を与えられて、もっと非効率的に働くほうがいいのです。バガヴァッド・ギーター(18.48)において、クリシュナはおっしゃいます。

(サンスクリット引用)

「すべての努力は何らかの欠陥によって覆われています。ちょうど、火が煙によって覆われているようなものです。したがって、人は自分の生来の性質に添った仕事(the work which is born of his nature)を放棄すべきではありません、おお、クンティーの息子よ。たとえそのような仕事が欠陥に満ちていたとしてもです。」

そして、ヒンディー語の諺はこう言います。(サンスクリット引用)「ベカーリー」は、「仕事が無い」を意味します。そして「ベガーリー」は「給料無しで働く」を意味します。インドでは、私たちは多くの村人がやってきて商店主や紳士にこう頼むのを見ました。

「どうか私に何らかの仕事をください。私は給料は望みません。あなたがそうしたいなら、あなたは私に幾らかの食べ物を与えることができます。そうでなければ、私はそれさえ望みません。」それでは、どの紳士が、もしもあなたが彼のところで働くなら、あなたに何か食べるものを与えないでしょうか?

直ちに労働者は、何らかの仕事、および食べ物と住むところを得ます。それから、彼が働いているとき、もしも紳士が彼が非常に良く働いているのを見れば、彼は「いいでしょう、いくらかの給料を受け取りなさい」と言うでしょう。

したがって、何の仕事もなく怠惰であり続けるよりも、何らの報酬もなく働くほうがいいのです。それ(訳注:何の仕事もなく怠惰でいる状態)は、非常に危険な立場です。しかし、現代の文明においては、多すぎる機械が原因で、非常に多くの失業者がいます。そして、非常に多くの怠け者たちもいます。それは良くありません。

弟子:  ほとんどの人は、この考え方は非常に古臭いと言うでしょう。彼らは、たとえそれが高い失業率を作り出しても、自分たちの技術を持つほうを好むでしょう。なぜなら、彼らはそれを苦役から自由になる方法として、それに、他のものを楽しむ自由としても見るからです。テレビや映画や車や、、、

SP:  技術は自由ではありません。むしろ、それは地獄への「自由の道」(freeway、高速道路)です。それは自由ではありません。すべての人がその能力に応じて働いているべきです。もしもあなたが優れた知性を持っているなら、あなたはブラーマナの仕事を、すなわち聖典を研究し、本を書き、他者に知識を与えることをするのが良いでしょう。

それがブラーマナの仕事です。あなたは自分の生計について気にする必要はありません。社会がそれを供給します。ヴェーダ文明においては、ブラーマナは給料のために働くことをしませんでした。彼らはヴェーダ文献を研究することと、他者に教えることで忙しく、そして社会が彼らに食べ物を与えました。

(改行)クシャトリヤに関して言えば、彼らは社会の他の構成員に保護を与えなければなりません。危険があるでしょうし、攻撃があるでしょう。そして、クシャトリヤは人々を守るべきです。その目的のために、彼らは税金を取り立てることが許されています。

それから、クシャトリヤよりも知性において劣る者は、ヴァイシャ、すなわち商業層(mercantile、商業の、経済の)です。彼らは食べ物を作ることと牛を守ることに携わります。これらのことが必要とされます。そして最後に、他の三つの、より高い階層を助けるシュードラがいます。

(改行)これは社会の自然な区分です。そしてそれは非常に良いものです。なぜなら、それはクリシュナご自身によって作られたからです。(サンスクリット引用)すべての人が仕事を持っています。知性的な階層は仕事を持ち、軍事的な階層は仕事を持ち、商業的な階層は仕事を持ち、そして残りの者たち、シュードラもまた、仕事を持っています。

政党を作って戦う必要はありません。ヴェーダの時代には、そのようなものはありませんでした。王が統治者であり、彼は誰もがそれぞれの義務において仕事を持っているようにしていました。ですから人々は、偽りの政党を作って社会不安を募り、互いに争う時間がなかったのです。そのような機会はありませんでした。

(改行)しかし、すべてのことの初めは、「私はこの体ではない」ということを理解することです。そしてこれは、クリシュナによってバガヴァッド・ギーターの中で繰り返し繰り返し強調されています。

第15章 科学と信仰について

シュリーラ・プラブパーダと彼の弟子の一人との間の次の会話は、1975年5月にオーストラリアのパースにおいて早朝の散策の間に録音されました。

弟子:  (物質主義的な科学者の役割をとって)なぜあなたはクリシュナ意識を科学と呼ぶのですか?それは単に信仰であるように見えます。

SP:  あなたのいわゆる科学もまた信仰です。もしもあなたが自分の方法を科学と呼ぶなら、それなら私たちの方法もまた科学です。

弟子:  しかし、私たちの科学では、私たちは自分たちの信仰(訳注:信じていること)を証明することができます。

SP:  それなら、化学物質が生命を作ると証明しなさい。あなたの信仰は、生命は化学物質から作られているというものです。ですから、それを証明しなさい。そうすればそれは科学です。しかし、あなたはそれを証明することができません。したがって、それは信仰でありつづけます。

弟子:  しかし(Well)、あなたは魂を信じていますが、あなたはそれが存在すると証明することができません。私たちは魂を見ることができないので、生命は物質から生じると結論しなければなりません。

SP:  あなたは自分の鈍感な感覚で魂を見ることはできませんが、それは知覚され得ます。意識は知覚されることができ、そして意識は魂の徴候です。しかし、もしもあなたが言うように生命が物質から生じるのなら、それならあなたは、死体が再び生きるようにするために、欠けている化学物質を提示することによって、それを立証しなければなりません。これが私の挑戦です。

弟子:  正しい化学物質を見つけるには、しばらく時間がかかります。

SP:  それはあなたが無意味なことを話しているということを意味します。あなたの信仰は、生命は化学物質から生じる、というものです。しかし、あなたはそれを証明することができません。したがってあなたは自分自身を悪者であると証明します。

弟子:  しかし、あなたはバガヴァッド・ギーターを信仰に基づいて受け入れます。どうしてそれが科学的なのですか?それは単にあなたの信仰です。そうではありませんか?

SP:  なぜそれが科学的でないでしょうか?バガヴァッド・ギーターには(サンスクリット引用)とあります。「すべての生命体は十分な穀物(訳注:food grains、この場合は広く「食物」を指すものと考えるできでしょう)を食べることによって生存し、そして穀物は雨から作られます。」それは信仰ですか?

弟子:  それは本当のことに違いありません。

SP:  同様に、バガヴァッド・ギーターの中のすべてのものは真実です。もしもあなたがそれについて注意深く考えるなら、あなたはそれがすべて本当であることを知るでしょう。バガヴァッド・ギーターにおいて、クリシュナは、社会には魂と神を知っているブラーマナ、知的な階層の人々がいなければならない、とおっしゃいます。それが文明化された人類(man)です。しかし、今日の社会において、そのような階層の人々がどこにいますか?

弟子:  多くのラビ(訳注:ユダヤ教の聖職者)、神父、そして牧師がいます。

SP:  しかし、彼らは神について何を知っていますか?ただ、この一点を明らかに見ようとしなさい。至高の権威が存在します。あなたは独立してはいません。したがって、あなたは至高の権威が存在するということを受け入れなくてはなりません。しかし、あなたはその至高の権威が誰か知りません。ですから、もしもあなたが至高の権威を知らないなら、あなたの知識の価値は何ですか?

(改行)たとえば、ある人が自分の国の政府について知らないと仮定しましょう。彼はどんな人でしょうか?彼は単に三流の人物、ろくでなし(訳注:rascal)です。文明化された人は、自分の国の政府について知っています。同様に、宇宙全体の政府が存在します。しかし、もしもあなたがそれを知らないなら、あなたは三流の非文明人です。

したがって主クリシュナはバガヴァッド・ギーターにおいて、人間の社会には、神を知り、宇宙全体の管理について、それがいかに神の命令の下で働いているかを理解している、知性的な階層の人々がいなければならない、とお教えになります。私たちクリシュナ意識の献身者は、これらのことを知っています。したがって私たちは文明化されています。

弟子:  しかし、バガヴァッド・ギーターは五千年前に書かれました。ですから、それは今日とは関係ありません。

SP:  バガヴァッド・ギーターは五千年前に書かれたのではありません。それは既にそこにありました。それはいつも存在していました。あなたはバガヴァッド・ギーターを学んでいますか?

弟子:  はい。

SP:  それでは、あなたはバガヴァッド・ギーターのどこに、それが五千年前に書かれたということを見出すのですか?それは1億2000万年以上前に最初に語られました。クリシュナは(サンスクリット引用)とおっしゃいます。「私はこの科学を1億2000万年以上前にヴィヴァスヴァーンに語りました。」

あなたはこれを知らないのですか?あなたはどういうバガヴァッド・ギーターの読者なのですか?(訳注:あなたはそれでもバガヴァッド・ギーターの読者なのですか?)バガヴァッド・ギーターはアヴャヤムです。それは永遠に存在しています。ですから、どうしてあなたはそれが五千年前に書かれたと言えるのですか?

(改行)(シュリーラ・プラブパーダ、ご自分の杖で昇る朝日を指す)ここに私たちは太陽がちょうど昇っているのを見ます。(訳注:「ごらんなさい。太陽が昇っています。」)しかし、それはいつもそこに、宇宙空間にあります。バガヴァッド・ギーターはそのようなものです。それは永遠の真理です。太陽が昇っているとき、私たちはそれがちょうど今存在し始めているとは言いません。

それはいつもそこにあります。しかし、私たちはそれが昇るまで見ることができません。人間は、夜には、太陽は死に、朝には新しい太陽が作られるのだと考えていました。彼らはまた、地球は平らであるとも信じていました。これがあなた方の科学的な知識です。毎日、新しい知識です。

弟子: これは、私たちが真実を発見しているということを意味します。

SP:  いいえ。それはあなた方が真実とは何かを知らないということを意味します。あなた方は単に推量しています。今はあなた方は何かを真実として受け入れます。しかし、2-3日するとあなた方は、それは真実ではない、と言います。そして、あなた方はこれを科学と呼びます!

弟子:はい、おっしゃるとおりです。わずか2-3年前に書かれた科学的な教科書の多くは、今では古びています。

SP:  そして、あなた方が今使っている科学的な教科書は、2-3年すると役に立たなくなります。これがあなた方の科学です。

弟子:  しかし、少なくとも私たちが今知っていることは、私たちがかつて知っていたことよりも真実に近く、そしてもしも私たちが努力を続けるなら、私たちはより多くを知るでしょう。

SP:  これはあなた方がいつも無明の内にあるということを意味します。しかし、バガヴァッド・ギーターはそのようなものではありません。クリシュナはアルジュナにおっしゃいます。「私はこの科学を最初に1億2000万年前に教えました。そして今日、私はあなたに同じことを教えています。」

それが科学的な知識です。真実はいつも同じです。しかし、あなた方科学者たちは、いつも変化しています。「真実を発見している」と、あなた方はそれを呼びます。それは、あなた方が真実とは何かを知らないということを意味します。

弟子:  (自分自身として)問題は、 すべての人が詐欺師であるということです。誰もが推量しており、自分の結論を真理として提示しています。

SP:  そうです。したがって私たちは、騙さない人であるクリシュナを受け入れなければなりません。そして私はクリシュナがおっしゃったことだけを提示しているので、私もまた、詐欺師ではないのです。それが私たちと科学者たちとの間の違いです。 

第16章 教育と「良い人生」について

シュリーラ・プラブパーダ、新しい献身者の母親、そしてイエズス会の神父との間の次の対話は、1973年7月にロンドンのラーダー・クリシュナ寺院において交わされました。

SP:  (母親に向かって)私たちのヴェーダの理解によれば、罪深い生活の4つの柱があります。不正な性交、不必要に動物を殺すこと、陶酔物の摂取、および賭け事です。私たちの生徒たちは、これらを放棄するように訓練されています。

そして、あなたがご自分の息子さんから見ることができるように、彼らは幸せで、野菜と牛乳から作られたおいしい食べ物を食べることと、ハレ・クリシュナ、すなわち神の聖なる御名を唱えることによって満足しています。

母親:  私は彼が幸せであるのを見てとれます。しかし、お分かりと思いますが(you know)、彼は非常に幸せな家庭の出身です。ですから、彼は幸せであって当然なのです(should)。そうでしょう?

SP:  はい。しかし今では彼はもっと幸せです。彼は幸せでしたが、今では彼はもっと幸せです。

母親:  私はマイケルの幸せを嬉しく思っています。しかし、彼が自分の大学教育を続けないことについて、非常に落胆しています。

SP:  私たちのクリシュナ意識運動は、人々から彼らの教育を奪うことはしません。私たちはこう言います。「あなたの大学教育を続けなさい。しかし同時に、神を知り、主を愛することが十分にできるようになりなさい。そうすればあなたの人生は完璧です。」

(改行)しかし、どちらにしても、教育の目的は何ですか?私たちのヴェーダ文化は、教育の最高点は神を理解することであると教えます。それが教育です。そうでなければ、いかにして良く食べるか、いかによく眠るか、いかに良く性交するか、およびいかに良く身を守るか、ということのための教育、この教育は動物の間にさえあります。

動物たちもまた、いかに食べるか、いかに眠るか、いかに性交するか、そしていかに身を守るかを知っています。教育のこれらの4つの部門は、人間には十分ではありません。人間はいかに神を愛するかを知らねばなりません。それが教育です。

母親:  はい。私は完全にあなたに賛成します。私は科学の分野にいる多くの素晴らしい人々の名を挙げることができます。彼らは科学者でありながら(still)、非常に神に近いのです。私たちはどこにいることでしょう(訳注:「私たちはどうなっていることでしょう」)、私たちの科学者たちがいなければ、私たちの医者たちがいなければ、、、

SP:  しかし、単に医学の分野で医者になることは、人を救いません。不幸にして、ほとんどの医者たちは来世を信じません。

母親:  おお、彼らはもちろん信じています(Oh, yes they do.)。私は毎週日曜日に教会に来る医者を知っています。そしてマイケルも彼を知っています。彼も来世を信じています。彼は本当にとても良い人です。

SP:  一般に、来世を信じる西洋の人は、それをあまり真剣に信じていません。もしも彼らが実際に来世を信じているなら、彼らは自分が一体どんな種類の来世を持つことになるかについて、もっと気にするでしょう。840万種類の生命の形が存在します。木は生命の形であり、猫や犬もまた生命の形です。ですから、全部で840万種類あります。

私たちは来世を持つことになるので、(そして)私たちは今の体を去って別の体を受け入れなければならないので、私たちの主な関心事は、自分は次にどんな種類の体を持つことになるか、ということであるべきです。しかし、学生を来世のために準備するために教育する大学がどこにありますか?

神父:  世界中のカトリックの大学はそれをしています。そしてそれが私たちの主な目的です。若い男性、あるいは若い女性を、この世界で成功するために教えること、そして何よりも来世での成功、つまり永遠に神と結びつくこと。それが最優先事項です。

SP:  では、どうやって私たちは来世においてどんな種類の体を得るのかを知ることができますか?

神父:  私が知っているのは、滅亡はない、ということだけです。私は神と一緒になります。(joined with God)

母親:  私たちは万能の神と一緒になるのです。それだけです。私たちは死ぬときに万能の神のところに行きます。私たちは心配する必要はありません。

SP:  しかし、神のところへ行く資格は何ですか?誰もが神のところへ行くのですか?

母親と神父:  はい。はい。

神父:  誰であれ、神を信じ、良い人生を送り、この世において最善を尽くす者は、、、

SP:  それなら次の問いはこれです。良い人生とは何ですか?

神父:  神の戒めに従うことです。

SP:  戒めの一つは、「汝、殺すなかれ」というものです。それでは、もしも誰かが罪のない動物を殺して彼らを食べるなら、彼は良い人生を送っていますか?

神父:  睨下(Father)、あなたは多少理不尽でいらっしゃいます。(訳注: Fatherは、通常はカトリックの聖職者への呼びかけに使われる。「神父様」、という感じの言葉。 睨下(げいか)は最高位の聖職者の敬称。)「汝、殺すなかれ」は、「汝、不必要に命を取るなかれ」を意味します。もしも肉を食べないのなら、どうやって私たちは生きることができるでしょうか?

SP:  私たちはどうやって生きていますか?私たちは野菜と穀物と果物と牛乳から作られたおいしい食べ物を食べています。私たちは肉を必要としません。

神父:  このように考えてください。あなたはほんの2-3分前に、800万だかの異なる生命の種類が存在するとおっしゃいました。あなたは、ジャガイモ、キャベツ、そして他の野菜もまた生命を持っているということに同意なさいますか?

SP:  はい。

神父:  では、これらの野菜をゆでるとき、あなたは彼らの命を取っています。

SP:  あなたの哲学は何ですか?ジャガイモを殺すことと罪のない動物を殺すことは等しいというものですか?

神父:  あなたは「汝、殺すなかれ」とおっしゃいました。しかし、あなたはジャガイモを殺します。

SP:  私たちは皆、他の生命体を食べることによって生きなければなりません。(サンスクリット引用)しかし、ジャガイモを食べることと何らかの動物を食べることは同じではありません。あなたはそれらが等しいと思いますか?

神父:  はい。

SP:  それなら、なぜあなたは子供を殺してそれを食べないのですか?

神父:  私は一瞬たりとも子供を殺すことは考えません。

SP:  しかし、動物と子供はどちらも無力で無知だという点で似ています。子供が無知だからといって、それは私たちが彼を殺して良いということを意味するのではありません。同様に、動物は無知、あるいは非知性的ですが、私たちは彼らを不必要に殺すべきではありません。分別のある者、宗教的な者は、区別をつけるべきです。

彼はこう考えるべきです。「もしも私が野菜、果物、そして牛乳から自分の食べ物を得られるなら、なぜ私は動物を殺して食べるべきだろうか?」それに、あなたが木から果物を取るとき、殺すことはありません。同様に、牛から牛乳を取るとき、私たちは牛を殺しません。ですから、もしも殺すことなく、そのように生きられるのなら、なぜ私たちは動物を殺すべきでしょうか?

神父:  あなたはどう思われますか?私は肉とベーコンなどを食べるので、、、それは私を罪深い者にしますか?もしもそれらを食べないなら、私の罪深さは減るのでしょうか?

SP:  はい。(校正:原文はピリオドが抜けている。)

神父:  では、もしも私が肉とベーコンとソーセージを食べることを放棄するなら、私は違う人になるのですか?

SP:  あなたは浄化されます。

神父:  それは非常に興味深いことです。

SP:  動物を殺す者は、神を理解することができません。私はこれを見たことがあります。それは事実です。彼らは神を理解するための脳を持ちません。 

第17章 中絶と「ウサギの哲学」について

シュリーラ・プラブパーダと彼の何人かの弟子たちとの間の次の会話は、1973年12月にカリフォルニアのヴェニス海岸での早朝の散策の折に交わされました。

弟子:  シュリーラ・プラブパーダ、時として私たちは、「自然の法則はとても強いが、もしも主クリシュナに服従するなら、病気や死などの物事を乗り越えることができる」と議論します。主が統治力を持った自然だからです。しかし懐疑主義者たちは、私たちは徐々に、神無しで自分たちだけで、自然の法則を統御できるようになると言います。

SP:  いいえ。私たちは自然の法則を受け入れることを強要されます。誰がどうして、自分は自然の法則を征服したと言えるでしょうか?

弟子:  しかし、医者たちと生物学者たちは、非常に多くの病気を征服しました。

SP:  しかし、人々はまだ病気になっています。医者たちはどのように病気を止めたのですか?

弟子:  例えばアフリカとインドでは、彼らはすべての人を天然痘に対して予防接種しており、そして彼らは何千人もの子供たちを死から救いました。

SP:  しかし、子供たちはどちらにしても育ち、年を取り、やがて死にます。ですから、死は止められていません。そして、それに、なぜ彼らはこれらの子供たちを気にするのですか?彼らは人口過多を望みません。ですから論理的には、医者たちは彼らを死なせるべきです。しかし医者たちは非論理的です。

一方で彼らは子供たちの死を止めようとし、そして他方では彼らは避妊具の使用を勧め、中絶によって子宮の中の子供たちを殺します。なぜですか?なぜ彼らは殺しているのですか?人口の増加を防ぐためです。それなら、子供たちが世界の別のところで死んでいるとき、なぜ彼らは彼ら(子供たち)を救おうと躍起になるのですか?

弟子:  いったん子供が生まれると、彼らは彼(子供)を救いたいと思います。しかし、子供がまだ子宮の中にいるときは、彼らは彼を殺すことができます。彼らは、彼はまだ人間ではない、と言います。

SP:  しかし子供は、女性が妊娠した途端に、既に生まれています。妊娠とは、子供が既に生まれているということを意味します。どうして彼らは、子供はいない、と言えるのですか?この無意味なことは何ですか?女性が妊娠しているとき、なぜ私たちは彼女が「子を宿している」と言うのですか?これは、子供が既に生まれていることを意味します。したがって、私はこの中絶ということは、単に悪事であると言います。

弟子:  しかし、彼らはそれを正当化しました。

SP:  どんなふうに?

弟子:  時として彼らは、自分たちは単に自分たちが最良と感じることをしているだけだ、と言います。そしてもちろん彼らは、後に自分たちを罰するカルマなどというものがあることを否定します。彼らは一種の「ウサギの哲学」を持っているように見えます。ウサギが自分に襲い掛かる狼を見ないでいいように目を閉じるとき、彼は実際に自分は安全だと考えるかもしれません。

SP:  ですから、中絶主義者はウサギの哲学を信じています。それは人間の哲学ではありません。それはウサギの哲学、カエルの哲学、ロバの哲学です。そして彼らはシュリマッド・バーガヴァタム(2.3.19)に描写されています。(サンスクリット引用)

指導者たちは往々にして中絶を支える悪者であり、そして彼らは他の一団の悪者たちと愚か者たち、つまり一般の人々によって讃えられます。集団全体が悪者で構成されているので、彼らは自分たちの指導者として悪者を選びます。それから、満足しないと(訳注:期待通りにいかないと)、彼らは最初の悪者を執務室から投げ出し、別の悪者を選びます。

これは(サンスクリット引用)、既に噛まれたものを噛む、と呼ばれます。人々は誰を選んだらいいかを知りません。したがって彼らは、神意識である指導者、実際に指導者となる資格のある指導者を選ぶために、教育されなければなりません。そうすれば彼らは幸せになります。そうでなければ、彼らはある悪者を選出して彼を退け、別の悪者を選んで今度は彼を退け、などということを続けるでしょう。

(改行)アメリカには「神を私たちは信頼する(In God We Trust)」という標語があります。(訳注:アメリカの公式なモットーであり、貨幣などに記されている。)私たちは単に、「指導者の基準は、彼が神が誰であるかを知っており、そして彼が主を信頼している、ということであるべきだ」と言います。そしてもしも人々が実際に神は誰であるかを知りたいと望むなら、彼らはバガヴァッド・ギーターを読むことができます。

彼らは知性をもってそれを読むべきであり、理解しようとすべきです。そしてそれから、更なる発達のために彼らはシュリマッド・バーガヴァタムを学ぶのが良いでしょう。私たちが理論化を行っているというのではありません。私たちは、神に関する自分たちの情報を権威ある書物から受け取っています。

弟子:  政治に関する私たちのチラシの中に、私たちは指導者の資格を列挙しています。まず私たちは、彼が4つの規律的な原則に従わなければならない、と言います。肉食をしないこと、不正な性交をしないこと、賭け事をしないこと、陶酔物を摂らないこと、です。そして、私たちが与える一つの肯定的な命令(訳注:~するな、ではなく、~しろ、というもの)は、指導者が主の聖なる御名を唱える、というものです。

SP:  もしもあなたが神を信じるなら、なぜ神の聖なる御名を唱えることに何らの異議があるでしょうか?もしもあなたが「神を私たちは信頼する」と言うなら、それなら(あなたは)神の名と神の住所(訳注:居所)を知っていなければなりません。そうすればあなたは実際に主を信頼することができます。

そして、もしもあなたがこれらのことを知らないなら、私たちから学びなさい。私たちはあなたに神の名、居所、性質、、、すべてを与えています。そしてもしもあなたが神はいないと言うなら、それなら「神を私たちは信頼する」という言葉の意味は何ですか?

弟子:  彼らは教会を国家(state)を分離するためのプロパガンダ(訳注:主義や主張の宣伝)を作りました。しかし、彼らは神と国(country)もまた分離しました。

SP:  このプロパガンダを行っている者は、神とは何であるかを理解していません。神は何ものからも分離され得ません。なぜなら、すべては神であるからです。(サンスクリット引用)もしも彼らがバガヴァッド・ギーターを研究するなら、彼らは神はどこにでもいらっしゃることを理解するでしょう。

何ものであれ主から分離することは可能ではありません。ちょうどあなたの意識があなたの体のすべての部分にあるように、至高の意識、神も、宇宙のどこにでも存在します。クリシュナは「ヴェダーハム・サマティーターニ」、「私は生じたすべての物事を知っています」とおっしゃいます。主がどこにでもいらっしゃるのでないなら、どうして彼はすべてを知ることができるでしょうか?あなたは何と言いますか?

弟子:  これは論理的です、シュリーラ・プラブパーダ。

SP:  どうしてあなたは政府から神を分離させることができるのですか?あなたは「はい、神と国家は分離しているべきです」と同意する、いかなるいわゆる「教会」や、いかなるいわゆる「宗教」も退けて構いません。そしてそれが、そのようないわゆる「宗教」を私たちが退けるというのが、神の教えです。(サンスクリット引用)

「すべての種類のいわゆる宗教を放棄し、単に私に服従しなさい」とクリシュナはバガヴァッド・ギーター(18.66)においておっしゃいます。人々は、自分たちは神を信じている、と言うかもしれません。しかし、彼らが政府から神を分離しようとするとき、あなたは彼らが神とは何かについて無知であることを知ることができます。 

第18章 「力が正義となる」について

シュリーラ・プラブパーダと彼の弟子の一人との間のこの会話は、1974年6月にパリで交わされました。

弟子:  昨夜、あなたの講義の中で、あなたは「ちょうど人々が国家の法律に背くと罰せられるように、もしも彼らが神の法律に従わないなら、彼らは神によって罰せられる」という類比をなさいました。ですから若い人たちは、あなたがファシスト(訳注:極右専制主義者)に違いないと考えました。

SP:  しかし、これは実際に世界中で起こっています。彼らはどうしてそれを否定することができるでしょうか?今日の政府は「力が正義となる」を意味します。何らかの方法で、あなたが力を得ます。そして、そうするとあなたは正義なのです。それはどのグループが力を得るかという問題です。

弟子:  しかし、彼らは力を人々に与えたいと思っています。

SP:  どうしてそれが可能でしょうか?非常に多くの人々がいて、非常に多くの異なる意見があります。あなたは自分たちの人々を持ち、別の人はその人の人々を持っています。(訳注:「あなたはあなたの利権グループを代表しており、別の人はその人の利権グループを代表しています。」)

あなたが自分の人々に力を与えようと思えば、直ちに他の者たちが反対します。これは人間の性質です。あなたはそれを変えることはできません。彼らは、力は人々に与えられるべきである、と考えます。しかし、賛成しない多くの他の人々がいます。これが物質世界の性質です。

すべての人が他の誰もをうらやみます。しかし、これらの悪者たちはこれらを理解する知性を持ちません。インドにはガンジーがいました。紳士であり、非常に素晴らしい政治家です。しかし彼は殺されました。ですから、あなたはこれを止めることはできません。それは物質世界の性質なのです。

すべての者が他の者たちをうらやんでいます。あなたは決して、完璧である物質主義的な人々のグループを見つけることはできません。ですから、なぜ彼らは「人々に力を与えよ」と言うのですか?彼らは単に悪者です。

(改行)したがって、シュリマッド・バーガヴァタムは(サンスクリット引用)と言います。クリシュナ意識は、完璧な、うらやまない人々のためのものです。クリシュナ意識でない者は、必ずうらやみます。どこにでも、あなたは競争を見出すでしょう。クリシュナには敵がいました。イエス・キリストにも敵がいました。

そうでなければ、なぜ彼は十字架に架けられたでしょうか?彼には何の落ち度もありませんでした。彼は神意識を布教していました。それなのに彼は十字架に架けられました。これが物質世界です。たとえある人が完璧であっても、それでも彼には敵がいます。どうしてあなたはそれを止めることができるでしょうか?

彼らは「人々に力を与えよ」と言います。しかし、ある良い人々の一団が政権を取れば直ちに、別の一団がそれに反対します。彼らは「私たちに力を与えろ」と言います。ですから、あなたの完璧さがどこにあるのでしょう?(訳注:「これのどこが完璧でしょうか?」)これは完璧さではありません。したがって、私たちはこの物質的な世界とのすべての関わりを放棄しなければなりません。それが完成です。

弟子:  しかし、もしもあなたがこの世界とのすべての関わりを放棄するなら、どうしてあなたは無政府状態を避けて良い政府を持つことができるでしょうか?

SP:  はい。これが要点です。あなたは完璧な権威に従わねばなりません。

弟子:  そして、これが彼らの論点でした。あなたはよい高い権威に従うことを提唱なさいます。

SP:  もしも彼らが完璧な社会を望むなら、あなたは完璧な権威に従わねばなりません。あなたは世俗の政治を通して完璧さを見出すことはできません。あなたは本当の、認められた権威、完璧な解放された魂に従わねばなりません。これがヴェーダ文化における方法(system、体系)でした。

権威は主クリシュナとヴェーダ文献であり、そして社会はマヌ(人間の先祖であり、法を授ける者)とマヌ・サムヒターによって導かれていました。(サンスクリット引用)完璧さを得るためには、私たちはマハージャナ、完璧な、自己を認識した権威に従わねばなりません。

弟子:  しかし、これらの若い人々は、霊的な権威でさえ不完全であると言いました。

SP:  彼らはそう言うかもしれません。しかし、なぜ私たちは彼らの意見を、不完全な悪者の意見を受け入れるべきなのですか?彼らの唯一の権威の考え方は、「力が正義となる」というものです。例えば、昨日のあのグループは、「人々に力を」と提唱していました。

ですから、彼らはいくらかの力を持っており、そして彼らは「あなたはこの考え方を受け入れなければならない」と圧力をかけているのです。そしてこれが、「力が正義である」ということが、世界中で続いています。すべての悪者たちが互いに戦っています。そして多少(他の者たちより)力の強い者が突出します。それだけです。

弟子:  彼らは、これがいつもそれにあてはまる、と言います(this is always the case)。つまり、どんな権威者も、それは単に自分自身を前に押し出した、ある指導者だ、と。(訳注:「権威を持っているのはいつも力の強い者だ、と彼らは言います」、という意味だと思います。)ですから、彼らはすべての権威を退けました。

SP:  はい。彼らの(訳注:彼らが見てきた)すべてのいわゆる権威者たちが不完全だったからです。しかし、完璧な権威もあります。クリシュナ、至高の人格神です。そして、クリシュナの教えに従い、それに沿って教えるいかなる権威者もまた、完璧です。それが権威です。

(改行)私たちクリシュナ意識の権威者は、厳密にクリシュナの権威に従っています。クリシュナ意識を提示するにあたって、私たちは単にクリシュナの言葉を示し、人々を納得させようとしています。「ここに本当の権威があります。もしも従うなら、あなたは幸せになります。」

クリシュナは「あなたは私に服従しなさい」とおっしゃいます。そして私たちは「クリシュナに服従しなさい」と言います。私たちはクリシュナは完璧であると知っており、主に服従することが完成であると知っています。そして私たちが話すときはいつでも、私たちはいつもクリシュナとクリシュナの代理人たちを引用します。

弟子:  しかし、ある人が服従するためには、彼は彼に服従するようにと頼んでいる誰かへの信頼を持たねばならないのではないのですか?

SP:  はい。信頼がそこになければなりません。したがって、バガヴァッド・ギーターにおいて、クリシュナは何よりもまず、ご自分が完全真理であると証明なさいます。それから主は、あなたに服従するように頼みます。しかし、あなたは「これがクリシュナである」と理解する知性を持つ必要があります。それからあなたは服従します。

バガヴァッド・ギーターにおいて、クリシュナは最初に「あなたは服従しなければなりません」とはおっしゃいません。まず主は、体、魂、すべての形のヨガ、すべての異なる種類の知識など、すべてを説明なさいます。それから主は最も内密な知識を与えられます。「他のすべてのものを放棄して、そして単に私に服従しなさい。」

(改行)この物質世界の中のすべての人は不完全です。完璧な人への自主的な服従無しでは、すべての者が不完全です。しかし、クリシュナ、あるいは主の代理人に完全に服従した者は、彼は完璧です。しかし、もしもあなたが完璧な権威に服従しないなら、それならあなたは不完全な悪者でありつづけます。

あなたはナポレオンであるかもしれず、あるいはあなたは小さなアリであるかもしれません。しかし、私たちはあなたがクリシュナに服従したかどうかを見たいのです。もしも服従していないのなら、それならあなたは悪者です。それだけです。 

第19章 科学的な進歩:大げさな言葉

シュリーラ・プラブパーダと彼の弟子バークティスヴァルーパ・ダーモダラ・スワミ(Ph.D.)(訳注:博士号。以下、スワミ)との間のこの対話は、1975年3月に(アメリカの)アトランタで交わされました。

スワミ:  現代の科学者たちは、実験室で生命を作り出すために懸命に働いています。

SP:  これを理解しようとしなさい。ちょうど神が既に存在しているように、同じく神の欠かすべからざる小片である生命体も、既に、永遠に存在しています。ですから、あなたは「作り出す」必要はないのです。それは愚かさです。なぜなら生命体は永遠であるからです。彼らは決して作り出されません。

それらは単に、物質世界において4つの異なる方法で顕現します。それらの一部は種を通して顕現し、別の一部は発酵を通じて、別の一部は卵を通じて、そして別の一部は胎児を通じて顕現します。しかし、生命体は既に存在しています。ですから、作り出すということはあり得ません。これが生命体の科学です。

(改行)既に何百万何百兆という(訳注:無数の)生命体が存在しています。そして、それにも関わらず、物質主義的な科学者たちは、いかにして何かを作り出すかということについて大きな会議を開いています。この子供じみた提案をご覧なさい。彼らは時間を無駄にしており、人々を誤って導いており、みんなが一生懸命に稼いだお金を無駄にしています。

したがって私は、彼らが悪者であると言います。彼らは「作り出そう」としています。彼らは何を作り出すでしょうか?すべては既に存在しています。しかし彼らは、彼らのすべての高度な教育をもってしても(訳注:高度な教育を受けているにも関わらず)、これを知りません。したがってバガヴァッド・ギーターは彼らをムーダー、悪者と描写します。

(改行)さて、あなたはこれらのムーダーたちにこう言います。「我が親愛なる先生(My dear sir)、あなたは作り出すことはできず、何ものも作り出され得ません。ただ、生命体はどこから生じているか、彼らの源は何であるか、すべての自然の背後にある脳は誰であるかを見つけ出してください。

それを見つけ出してください。それが本当の知識です。もしもあなたがこの知識を求めて努力し、すべてのもののもともとの源を見つけようとするなら、そうすればいつの日かあなたは(サンスクリット引用)(BG7.19)の水準に至るかもしれません。あなたは神がすべての源であると理解するでしょう。そしてあなたの知識は完璧になります。

(改行)このきれいな花を見なさい。あなたはこれが何らの脳からの指示もなく、自動的に生じたと思いますか?それは馬鹿げた(nonsensical、意味をなさない、愚かな、無意味な)哲学です。これらのいわゆる科学者たちは、非常に多くの大げさな言葉を使いますが、彼らは実際はどれだけ説明していますか?

他の誰も理解することができません。それは彼らによってのみ理解されます。彼らは、自分たちこそが説明しなければ誰も理解できないようなやり方で複雑な言葉を述べます。彼らは、すべては「自然によって」自動的になされる、と言います。それは事実ではありません。

(改行)ちょうど素晴らしいコンピューターのように、自然は道具です。しかし、それでも(それを)操作する人がいます。これらの悪者たちは、何らの常識も持ちません。操作する人なくして動く機械がどこにありますか?彼らの経験の中にそのような機械がありますか?

どうして彼らは自然が自動的に動いていると提唱することができるのですか?自然は素晴らしい機械です。しかし、操作する人は神、クリシュナです。それが本当の知識です。機械が非常によく動いているからといって、それが「操作する人はいない」ということを意味しますか?

(改行)例えば、ハーモニアムもまた機械です。そして、もしも熟練した音楽家がそれを弾けば、そうすればそれはとても旋律的で心地よい音を奏でます。「おお、なんと素晴らしいのでしょう。」しかし、ハーモニアムは自動的に演奏して旋律的な音を出しますか?

ですから、彼らは何らの常識すら持たないのです。そしてそれでも彼らは自分たちを科学者と呼んでいます。それが私たちが残念に思うことです。これらの人々が何らの常識すら持たず、それでも科学者として通用していることが、です。

スワミ:  彼らはこう考えています。化学を通して彼らは人工的に幾らかの原始的なアミノ酸を、、、(校正:adds→acids)

SP:  それは技巧(craftsmanship)です。それは知識ではありません。例えば、あなたがバラの絵を描くと仮定しましょう。あなたは絵描きです。知識を持った人ではありません。「知識を持った人」とは、物事が「どのように」なされるかを知っている誰かを意味します。絵描きは単に自分が見るものを模倣します。それだけです。したがって、芸術と科学は二つの異なる部門です。

スワミ:  では、もしも彼らが何らかの合成物を作り出すなら、それは単に技芸(art)に過ぎない(のですね)。

SP:  そうです。例えば、腕の良い料理人は、香辛料と調味料をどうやって混ぜてとてもおいしいものを作るかを知っています。ですから、あなたは化学者を腕の良い料理人と呼ぶことができます。化学とは異なる化学物質を混ぜる術(art)に他なりません。それだけです。油があり、アルカリがあり、あなたが非常に巧みにそれらを混ぜると石鹸が生じます。非常に役に立ちます。

スワミ:  しかし、化学者たちは、どうにかして自分たちは生命を作り出すことができ、人間さえ作ることができると確信しています。

SP:  あなたが生命を作り出すこと無くしては世界は地獄に落ちる、ということは、これは問題ではありません。(訳注:「自分たちが生命を作りださなかったら世界は地獄に落ちる、とでも言うのでしょうか。そんなことはありません。」という意味だと思います。)

例えば、非常に多くの自動車が存在します。もしも私がもう一つの自動車を作れば、私に何かすばらしい功績はありますか?非常に多くの自動車が既にあります!自動車がなかったとき、それを作った最初の人には幾らかの功績がありました。

「はい、あなたは何か良いことをしました。馬のない馬車です。人々はそれから便利さという利益を得るでしょう。それは構いません。」しかし、何百万台も何百万台も自動車があって単に事故を起こしているとき、そして私がもう一つの自動車を作れば、私の功績は何ですか?私の功績は何ですか?

スワミ:  ゼロです。

SP:  ゼロです。そしてこのゼロを達成するために、彼らは何かの大きな会議を開こうとしています。そして非常に多くの人が来てお金を遣うでしょう。

スワミ:  彼らはより良い人間を作りたいのです。彼らは人生をより良いものにしたいのです。

SP:  そうです。それが私たちの提案です。私たちは科学者たちに言います。「生命を作ろうとして時間を無駄にしてはいけません。あなたの人生をより良いものにしようとしなさい。あなたの本当の霊的な正体が何であるかを理解しようとしなさい。この人生においてあなたが幸せになれるようにするためです。この研究がなされねばなりません。」

(改行)彼らが学ばねばならない最初のことは、体という「自動車」の中に運転手、すなわち魂がいるということです。これが知識の最初の要点です。この単純なことを理解しない限り、人は馬鹿者(ass)です。運転手、すなわち魂が、この体という自動車を動かしています。

そしてもしも運転手が教育されているなら、それなら彼は自分の体を自己認識のために動かすことができます。家へ、至高神のもとへ帰れるようにするためです。そうすれば彼は完璧になります。ですから私たちは、運転手を教育しています。私たちはもう一つのブリキの車を作ろうとはしていません。これがクリシュナ意識です。

第20章 霊的な光の中で科学技術を見る

シュリーラ・プラブパーダと彼の何人かの弟子との間のこの対話は、1975年7月にシカゴでの朝の散策の折に交わされました。

弟子:  さきほどあなたは、西洋の世界は霊的に盲目であり、インドは科学技術的に足が不自由であるが、もしも彼らがそれぞれの資源を合わせるなら、そうすればインドの西洋の両方が利益を受ける、とおっしゃっていました。

SP:  はい。もしも西洋世界、盲目の人がインド、足が不自由な人を肩に乗せるなら、そうすれば足が不自由な人が霊的に方向を示し、そして盲目の人は自分たちを物質的、技術的に支えることができます。もしもアメリカとインドが彼らの技術的および霊的な資源を合わせるなら、この組み合わせは世界中に完全な幸せと繁栄をもたらすでしょう。

(改行)これらのアメリカ人たちの何と盲目なことか!彼らは生命の人間の体を、とても知性的な生命の体を得ました。そして、それなのに彼らはそれを湖でモーターボートに乗るために使っています。分かりますか?人間はすべての瞬間を自分の神意識を取り戻すために使うべきです。一瞬たりとも無駄にされるべきではありません。そして、これらの人々は単に時間を無駄にするための新しい方法を見つけ出しています。

(改行)もちろん、アメリカ人たちは物事を非常に良いように、すばらしい技術的な発展をもって行っています。しかし、彼らが行っていることは盲目的です。あなたはとても上手な運転手であるかもしれません。しかし、もしもあなたが盲目であるなら、それならどれだけ上手にあなたは運転しますか?あなたは災害を引き起こすでしょう。

ですからアメリカの人々は霊的に自分たちの目を開けなければなりません。彼らの上手な運転能力が正しく使われるようにするためです。今では彼らは顕微鏡を通して見ようとしています。しかし、彼らが自分の霊的な正体について盲目である限り、彼らは何を見るでしょうか?彼らは顕微鏡や、あの機械やこの機械を持っているかもしれません。しかし、彼ら自身は盲目です。それを彼らは知りません。

弟子:  私は、ほとんどのアメリカ人は自己認識よりも家庭を育むこと(raising a family、子供を育てること)のほうに興味があると思います。

SP:  クリシュナ意識は、家庭生活によってどんなふうにも(one way or the other)妨げられることはありません。アハイトゥキー・アプラティハター。神意識は、いかなるものによっても、妨害され得ません。もしもあなたが誠実であるならば。(訳注:「いかなるものによっても」が強調されている。「もしも~」の部分も、但し書きとして末尾において強調されている。)

どのような状況においても、あなたは(クリシュナ意識に)携わることができます。あなたは4つの方法でクリシュナ意識を遂行することができます。(サンスクリット引用)あなたの人生によって、あなたのお金によって、あなたの知性によって、そしてあなたの言葉によって。

ですから、もしもあなたが家庭人でありたいなら、、、もしもあなたが毎日24時間を捧げることができないなら、それならお金を稼いでそれをクリシュナ意識を広めるために使いなさい。そしてもしもあなたがお金を稼ぐことができないなら、それならあなたの知性を使いなさい。非常に多くの知的な仕事があります。出版、研究などです。

もしもあなたがそれをすることができないなら、それなら人々にクリシュナについて語るためにあなたの言葉を使いなさい。どこにいようと、単に誰かに「クリシュナが至高の人格神です。ただあなたの敬意をクリシュナに捧げてください」と説明しなさい。それだけです。(Finished.)

(改行)ですから、どこに機会の不足がありますか?あなたが奉仕をしたいという望みを持っている限り、あなたはいかなる能力(の程度)においてもクリシュナに奉仕をすることができます。しかし、もしもあなたが自分への奉仕のためにクリシュナを使おうと思うなら、それは馬鹿げた間違いです。人々は教会へ通っています。「神よ。私たちに奉仕をしてください。私たちに日々の糧を与えてください。」

(改行)人々は自分たち自身の問題を作り出します。実際には問題はないのです。(サンスクリット引用)神がすべてを配剤なさいました。主はすべてを完璧で完全に作られました。あなたは鳥のための非常に多くの実を見ます。(訳注:「鳥のためには、非常に多くの実があります。」)

非常に豊富に供給されています。プールナム・イダム。クリシュナは既にすべてを十分な量だけ供給なさっています。しかしこれらの悪者たちは盲目です。彼らはこれを見ません。彼らは調整しようとしています。なぜ彼らは調整する必要があるのですか?

すべては既に十分にあります。単に人々が物を誤用しているというだけなのです。しかしそうでないなら(訳注:誤用しないなら)、彼ら(人々)は既に十分な土地、十分な知性を持っています。すべては十分なのです。

(改行)アフリカとオーストラリアでは、彼らは非常に多くの土地を持っています。(訳注:非常に広い土地があります。)しかし、自然の豊かな作物の恵みに依り頼む代わりに、彼らはそれを殺すために家畜を育てています。これが彼らの知性です。

人々はコーヒーと茶とタバコを育てています。彼らはこれらのものが自分たちの健康を害すると知っているにも関わらずです。世界のある部分では、穀物の不足によって人々が死んでいます。そして、それでも世界の他のところでは人々はタバコを栽培しています。それはただ病気と死をもたらすだけです。これが彼らの知性です。

(改行)問題は、これらの悪者たちが人生は神を理解するためにあるということを知らない、ということです。誰でもいいから、尋ねてみなさい。誰も知りません。彼らは大変な愚か者です。あなたは、彼らが犬のためにどれほどの世話をしているか、見えませんか?彼らは盲目です。

彼らは自分たちが神(GOD)意識になるか犬(DOG)意識になるか知りません。犬は4本の脚で走ります。しかし人々は、自分たちは車で、4つの車輪で走ることができるので、自分たちは発達したと思っています。彼らは、自分たちは文明化したと考えます。しかし彼らがしていること(business)は、走ることです。それだけです。

弟子:  そして、走ることの目的は同じです。食べること、眠ること、性交すること、そして身を守ることです。

SP:  そうです。もしも目的が犬と同じなら、それなら車で走ることが何の役に立ちますか?もちろん、あなたはクリシュナ意識のメッセージを携えて人々のところにたどり着くために車を使うことができます。あなたはすべてをクリシュナのために使うことができます。それが私たちが教えることです。もしも素晴らしい車があるなら、なぜ私はそれを非難すべきでしょうか?それをクリシュナのために使いなさい。

そうすれば、それは構いません(all right)。私たちは「それを放棄しなさい」とは言いません。いいえ。あなたが自分の、神によって与えられた知性を使って何か作ったとき、それは構いません。もしもあなたがそれを神のために使うならば。しかし、あなたがそれをクリシュナ以外の目的のために使うとき、そうすればそれは無意味なこと(nonsense、無意味な、馬鹿げた、意味をなさない)です。

(改行)この車を見なさい。非常に素晴らしく飾られています。もしも私が「それはすべて無意味です」と言うなら、それは非常に知性的ですか?いいえ。あなたがこの車を作った目的、それは無意味です。ですから、私たちは単に人々に彼らの意識を変えて欲しいのです。私たちは彼らが作り出したものを非難することはありません。

(改行)例えば、包丁を使ってあなたは野菜や果物を切ることができます。しかし、もしもあなたがそれを自分の喉を切るのに使うなら、それは悪です。ですから、今は人々は科学技術という包丁を自分たち自身の喉を切るために使っています。自己認識、クリシュナ意識について、すっかり忘れているからです。これは悪です。

(改行)(サンスクリット引用)私たちの人間の体はちょうど、良い船のようなものです。私たちの人間の知性をもって、私たちは無知(nescience)の海、この物質世界における、繰り返す生と死の海を横切ることができます。そして、(サンスクリット引用)、私たちにはヴェーダ文献の中のクリシュナの教えという追い風(favourable wind、好ましい風)があります。

さらに、私たちには、私たちを導いて啓蒙してくれる良い船頭、真正なる霊的指導者がいます。これらすべての設備をもってして、もしも私たちが無知の海を横切ることができないなら、それなら私たちは自分の喉を切っています。船がここにあります。船頭がここにいます。追い風がここにあります。しかし、私たちはそれを利用していません。それは、私たちが自分自身を殺していることを意味します。

第21章 「非宗教的な政府(State)」

シュリーラ・プラブパーダとスウェーデンへのインド大使の間のこの会話は、1973年9月に(スウェーデンの)ストックホルムで交わされました。

SP:  アメリカとインドと世界中の他の非常に多くの国々では、彼らは「非宗教的な政府」を持っています。政府(government)の指導者たちは、自分たちはどの特定の宗教も優遇したくない、と言います。しかし、実際は彼らは非宗教を優遇しています。

大使:  しかし(Well)、私たちは問題を抱えています。私たちは多宗教社会を持っています。ですから、私たち政府内の者は、注意深くなければなりません。私たちは宗教に関してあまり強い立場をとることができません。

SP:  いいえ、いいえ。政府は強い立場をとらねばならないのです。(訳注:mustを斜体で強調。)もちろん、政府はすべての形の真正なる宗教に対して中立的であるべきです。しかし、政府には人々が本当に宗教的であるように取り計らう(to see)義務もあります。「非宗教的な政府」の名のもとに、政府は人々を地獄へ行かせるべきである、というのではありません。

大使:  まあ(Well)、それは本当です。

SP:  はい。もしもあなたがイスラム教徒であるなら、それならあなたが本当にイスラム教徒として行動しているように取り計らうのは政府の義務です。もしもあなたがヒンズー教徒であるなら、あなたがヒンズー教徒として行動しているようにするのは政府の義務です。

もしもあなたがキリスト教徒なら、あなたがキリスト教徒として行動するように取り計らうのは政府の義務です。政府は宗教を放棄することはできません。(サンスクリット引用)もしも人々が非宗教的になるなら、それなら彼らは単に動物です。ですから、市民が動物にならないようにするのは政府の義務です。

人々は様々に異なる形の宗教を信奉するかもしれません。それは関係ありません。しかし、彼らは宗教的でなければなりません。「非宗教的な政府」は、政府が無関心であるべきだということを意味するのではありません。「人々を、宗教無しで、猫や犬のようになるにまかせましょう。」もしも政府が気にしないなら、それならそれは良い政府ではありません。

大使:  私は、あなたのおっしゃることには大変重みがあると思います(there is a lot in what you say.)。しかし、お分かりでしょう?政治とは可能性の芸術です。(訳注:「政治とは可能性の芸術である」、ドイツ帝国ビスマルク宰相の言葉。)

SP:  いいえ。政治とは人々が発達するようにすることを、市民が霊的に発達するようにすることを意味します。彼らが後退するようにする(ことを意味する)のではありません。

大使:  はい。私は同意します。しかし私は、政府の主要な義務は、才能のある人々、あなたのような霊的な指導者が機能できるような状態を提供することだと思います。もしも政府がそれ以上のことをするなら、それは様々な宗教的な団体を堕落させることさえするかもしれません。私は、政府は試合の中の審判員のようであるべきだと思います。言論の自由のために状況を提供するということです。

SP:  いいえ。政府はそれ以上のことをしなければなりません。たとえば、政府(you)には通商部門があります。政府は交易と産業の企業がちゃんとやっている、正しく機能しているように取り計らいます。政府は許可証を発行します。政府には監督官と検査官がいます。

あるいは、例えば政府には教育部門があります。学生たちが正しく教育されているように取り計らう、訓練された検査官たち(がいます)。同様に、政府には、ヒンズー教徒が本当にヒンズー教徒のように振舞っているか、イスラム教徒がイスラム教徒のように振舞っているか、そしてキリスト教徒がキリスト教徒のように振舞っているかを調べる(to check)ことのできる、熟達した人々がいるべきなのです。

政府は宗教に関して無関心であるべきではありません。彼らは中立的であって良いのです(may)。「あなたがどのような宗教を信奉しようと、私たちは関知しません。」しかし、あなたがちゃんとしているように、あなたが(宗教的である)ふりをしているだけでないようにするのは、政府の義務です。

大使:  確かに、、、道徳的な振る舞いに関しては(そうです)。しかし、それ以上はどうやって可能でしょう?お分かりですか?

SP:  要点は、あなたが実際に宗教的な原則に従っていない限り、あなたは決して良い道徳的な振る舞いをすることはできない、ということです。(サンスクリット引用)「神へのひるむことのない献身の念を持つ者は、常にすべての、神のような性質を現します。

しかし、そのような献身の念を全く持っていない者は、常に主の物質的な外的エネルギーを搾取するための方策を作りだしていなければなりません。そしてそのため、彼は全く何の良い道徳的な性質も持つことができません。」(SB 5.18.12)

(改行)あなたが神への信仰を、神への献身の念を持っている限り、すべてはそれでよいのです(everything is all right)。結局、神は一つなのです。神はヒンズー教徒でもキリスト教徒でもイスラム教徒でもありません。神は一つです。そして、それがヴェーダ文献が私たちにこう言う理由です。(サンスクリット引用)「すべての人類の至高の義務は、至高主への愛情ある献身奉仕に至ることです。

下心が無く、途切れることのない、そのような献身奉仕だけが完全に自己を満足させることができます。」(Bhag 1.2.6)ですから、人は宗教的でなければなりません。宗教的であること無くしては、誰も満足することができません。なぜ世界中にこれほどたくさんの混乱と不満があるのですか?なぜなら、人々が非宗教的になったからです。

大使:  モスクワでは、非常に多くの人が宗教に対して冷淡で、完全にそれに反対しています。

SP:  なぜあなたはモスクワと言うのですか?どこもかしこもです(訳注:斜体で強調)。少なくともモスクワでは彼らは正直です。彼らは正直に「私たちは神を信じません」と言います。

大使:  それは本当です。それは本当です。

SP:  しかし、他のところでは、彼らはこう言います。「私はヒンズー教徒です」、「私はイスラム教徒です」、「私はキリスト教徒です」、「私は神を信じています」。そして、それでも彼らは宗教について、全く何一つとして(訳注:anything、斜体で強調)、知りません。彼らは神の法律に従いません(訳注:斜体で強調)。

大使:  あいにく、私たちの私たちのほとんどはそんなふうです。それは本当です。

SP:  (笑う)私は、モスクワでは少なくとも彼らは紳士だ、と言うべきです。彼らは宗教を理解しません。ですから彼らは「私たちは信じません」と言います。しかし、これらの他の悪者たちは、「はい、私たちは宗教的です。神を私たちは信じます(訳注:”In God We Trust.” 「神を我らは信じる」、アメリカ合衆国のモットー)」と言います。

そして、それなのに彼らは非常に非宗教的な行いをしています(to commit、罪や過失を犯す)。何度も私はキリスト教徒に尋ねました。「あなたの聖書は「汝、殺すなかれ」と言います。なぜあなたは殺しているのですか?」彼らは満足のいく答えを与えることができません。それは明らかに述べられています。「汝、殺すなかれ」。そして、彼らは屠殺場を維持しています。これは何ですか? 

第22章 私たちはトラの意識に留まることはできない

シュリーラ・プラブパーダと何人かの客との間のこの対話は、1968年12月にロサンゼルスのハレ・クリシュナ・センターで交わされました。

客:  もしも人間が動物を食べないなら、彼らはおそらく飢餓か何かで死ぬでしょう。

SP:  なぜあなたは動物が飢えて死ぬことをそれほど気にかけるのですか?あなたは自分自身の世話をしなさい。愛他的であってはなりません。「おお、彼らは飢えるでしょう。私が彼らを食べてあげましょう。」この愛他主義は何ですか?クリシュナが食べ物を提供しています。

もしも動物が飢えて死ぬなら、それはクリシュナの責任です。誰も飢えて死ぬことはありません。それは誤った理論です。神の王国では、飢餓はあり得ません。私たちは、自分自身の感覚の満足のためにこれらの理論を作り出しています。

アフリカのジャングルとインドのジャングルには、何百万もの象がいます。彼らは毎回100ポンド(訳注:50kg弱)の食べ物を必要とします。誰が食べ物の供給をしていますか?ですから、神の王国には飢餓はあり得ません。飢餓は、いわゆる文明化された人間のためのものです。

客:  もしも人間が肉を食べるようにできていないなら(not meant to eat meat)、なぜ自然の中では他の動物たちは肉を殺すのですか?(訳注:原文はkill meat、単なる言い間違い、あるいはテープ起こしの間違い。「他の動物たち(other animals)は動物を殺して肉を食べるのですか?」)

SP:  あなたは「他の動物」ですか?(訳注:another animal)

客:  まあ(Well)、私たちは皆、動物です。

SP:  あなたは自分自身を動物の仲間として数えるのですか?あなたは自分自身を動物と一緒に分類しますか?

客:  まあ、私たちは皆、動物です。

SP:  いいえ。皆ではありません。あなたはそうであるかもしれませんが、私たちは違います。あなたは動物と一緒に分類されるのが好きですか?(訳注:~されたいですか?)

客:  私は、自分が動物より優れているとは感じません。私はすべての神の被造物に敬意を持っています。

SP:  あなたはすべてに敬意を持っていて、そしてあなたは動物を殺すのですか?

客:  しかし(Well)、なぜ、もしも人間が肉を食べるようにできていないのなら、自然の中では動物たちは互いを食べるのですか?

SP:  動物が肉を食べるとき、彼らは自然の法則に従っています。あなたが肉を食べるとき、あなたは自然の法則を破っています。

客:  何ですか?(訳注:どういうことですか?)

SP:  例えば、トラは決して穀物を要求しに来ることはありません。「おお、あなたは非常にたくさんの穀物を持っています。私に幾らかください。」いいえ。たとえ何百袋もの穀物があっても、彼は気にしません。しかし、彼は動物に襲い掛かります。それが彼の自然な本能です。

しかし、なぜあなたは穀物、果物、牛乳、肉、そして手に入れる何もかもを取るのですか?これは何ですか?あなたは動物でも人間でもありません。あなたは自分の人間性を誤用しています!あなたは「私にとっての食物は何だろうか(訳注:meを斜体で強調)?」と考えるべきです。

トラは肉を食べても良いのです。彼はトラです。しかし私はトラではありません。私は人間です。もしも私が十分な穀物、果物、野菜、そして神が与えた他のものを持っているなら、なぜ私は出かけていって気の毒な動物を殺すべきでしょうか?これが人間性です。

(改行)あなたは動物であることに加えて人間でもあります(animal plus human)。もしもあなたが自分の人間性を忘れるなら、それならあなたは動物です。(短い静寂。)ですから、私たちは単なる動物ではありません。私たちは動物であり、人間でもあります。もしも私たちが自分の人間性の性質を増やすなら、そうすれば私たちの人生は完璧です。

しかし、もしも私たちが動物性の中に留まるなら、それなら私たちの人生は不完全です。ですから、私たちは自分の人間の意識を増やさなければなりません。それがクリシュナ意識です。もしもあなたがクリシュナによって与えられた非常の多くの種類の菜食の食べ物を食べることによって、非常に平和的に、非常に良く、健康に生きることができるなら、なぜあなたは動物を殺すべきでしょうか?

(改行)それに、科学的に、あなたの歯は野菜を食べるようにできています。トラは肉を食べるための歯を持っています。自然がそれをそのように作りました。彼は他の動物を殺さねばなりません。したがって、彼は爪を持ち、彼は歯を持ち、彼は力を持っています。しかし、あなたはそのような力を持っていません。

あなたは牛をそんなふうに、トラのように襲い掛かって殺すことができません。あなたは屠殺場を作り、家で座らねばなりません。(訳注:食卓につく、という意味だと思います。)もしも他の誰かが牛を屠殺するなら、あなたは非常に良く食べることができます。これは何ですか?トラのようにしなさい!牛に襲い掛かって食べなさい!あなたはそれをすることができません。

客:  では、あなたは自然の法則を信じない(のですね)。私は、自然の法則はすべての者に平等に当てはまると信じます。

SP:  トラは自然の法則によってそのように作られています。ですから、したがって、彼はそれをすることができます。あなたはそれをすることができません。あなたの性質は違います。あなたは分別を持ち、あなたは良心を持ち、あなたは文明化された人間だと主張しています。

ですから、あなたはこれらすべてを活用すべきです。それがクリシュナ意識、完全な意識です。人間の人生は、自分自身を意識の完成へと上昇させるためにあり、そしてそれがクリシュナ意識です。私たちはトラの意識に留まることはできません。それは人間性ではありません。

別の客:  私たちは、より高いところから、より低いところへ落ちたのですか?それとも、私たちは植物や動物から上がってきたのですか?

SP:  はい。もちろん、あなたはより高いところから、より低いところへ、霊的な世界からこの物質的な世界へと、そしてそれから、より低い種へと落ちました。それからあなたは進歩します。そしてあなたは再びこの人間の形に至ります。

もしもあなたが自分の、より高い意識を活用するなら、それならあなたはもっと高いところへ行きます。あなたは神のところへ行きます。しかし、もしもあなたが自分の、より高い意識を使わないなら、あなたは再び下へ降ります。

(改行)ですから、誤って導かれてはなりません。神意識を、クリシュナ意識を習慣づけなさい。そしてそれは、この人間の形の人生の正しい使い道です。そうでなければ、もしも私たちがトラのように肉食にふけるなら、私たちは来世においてトラの体を得るかもしれません。

しかし、(それが)何の役に立つでしょうか?例えば、私が来世においてとても強いトラになると仮定しましょう。それはとても良い昇進ですか?あなたはトラの人生を知っていますか?彼らは毎日食べることができません。彼らは一匹の動物に襲い掛かり、それを秘密の場所に隠します。

そして、一ヶ月の間、彼らは腐った肉を食べます。なぜなら、彼らはいつも動物を殺す機会を得るわけではないからです。神はその機会を与えられません。それは自然です。ジャングルでは、トラがいるところではどこでも、他の動物は逃げます。自己防衛です。

ですから、ごく稀に、トラがあまりにも空腹なとき、そのときに神は彼に他の動物に襲い掛かる機会を与えます。トラは非常に多くのおいしい料理を毎日得ることはできません。私たちがこれらすべての設備を持つのは、人間の人生においてです。しかし、もしも私たちがそれらを誤用するなら、それなら、、、トラの人生に行きなさい。襲い掛かる力を十分に備え、非常に強くなりなさい。 

第23章 神に盲目な科学者たち

シュリーラ・プラブパーダと彼の何人かの弟子たちとの間の次の会話は、1973年12月にロサンゼルスのヴェニス海岸での早朝の散策の折に交わされました。

弟子:  科学者たちは、「私たちの理性の力が、私たちに神はいないと言う」と言います。彼らは、もしもあなたが神を信じるなら、それは純粋に信仰の問題である、と言います。

SP:  それは信仰の問題ではありません。それは事実です。

弟子:  科学者たちが「事実」と言うとき、彼らは自分たちが自分たちの感覚を通じて知覚することのできる何かを意味します。

SP:  はい。そして、クリシュナ意識において私たちは自分の感覚を通じて神を知覚することができます。私たちが自分の感覚を献身奉仕に、神への奉仕に携わらせればさせるほど、私たちはもっと主を知覚することができます。(サンスクリット引用)

「人が自分の感覚を至高存在への奉仕に携わらせるとき、その関係はバークティ(献身)と呼ばれます。」例えば、私たちは寺院へ歩いていくのに自分の脚を使い、そして自分の舌を、神を讃え、プラサーダ(「主の慈悲」、クリシュナに捧げられた菜食の食べ物)を食べるのに使います。

弟子:  しかし、科学者たちは、これは信仰の行いであると言います。彼らは、私たちが神に食べ物を捧げるとき、それはただ私たちの信仰が私たちに、神がそれを受け入れると思わせるだけだ、と言います。彼らは、自分たちは(訳注:斜体で強調)主が食べているのを見ることができない、と言います。

SP:  彼らは(訳注:斜体で強調)見ることができませんが、私は(訳注:斜体で強調)見ることができます。私は彼らのような愚か者ではありません。彼らは霊的に盲目なのです。白内障、無知に苦しんでいます。もしも彼らが私のところに来るなら、私は手術をしてあげます。そして、そうすれば彼らもまた神を見るでしょう。

弟子:  しかし(Well)、科学者たちは、今、神を見たいのです。

SP:  しかし、クリシュナは今は彼らにご自分を明かされません。なぜなら、彼らは悪者、大きな動物だからです。(サンスクリット引用)「神の献身者でない者は誰であれ、ただの大きな動物です。大きなラクダ、あるいは大きな犬、あるいは大きな豚です。そして、彼を讃える人々も同じです。」

弟子:  彼らは、私たちは単なる夢見る人々だと、私たちは神と霊的な世界に関して幻想(fantasy)を作り上げているのだと言います。

SP:  なぜ彼らは「幻想」と言うのですか?彼らは理解する脳を持ちません。ですから彼らは「幻想」と言います。

弟子:  しかし(Well)、彼らの客観性の水準は、彼らが自分たちの感覚を通じて知覚できるものです。

SP:  はい。彼らは自分たちの感覚を通じて神を知覚することができます。彼らが自分たちの感覚を通じて砂を知覚するとき、彼らは誰が砂を作ったのだと思いますか?彼らが(訳注:斜体で強調)作ったのではありません。

彼らが自分たちの感覚を通じて海を知覚するとき、彼らは誰がそれを作ったのだと思いますか?なぜ彼らはそれほどの愚か者で、これが理解できないのですか?(訳注:なぜ彼らはこんなことも分からないほど馬鹿なのですか?)

弟子:  彼らは、もしも神がこれらのものを創ったのなら、ちょうど彼らが海を見ることができるように、彼らは主を見ることができるだろう、と言います。

SP:  そして私は彼らに言います。「はい、あなたは神を見ることができます。しかし、まずあなたは目を持たねばなりません。あなたは盲目です。あなたは白内障を患っています。私のところへ来なさい。そして私は手術をします。そうすればあなたは神を見るでしょう。」

これがヴェーダ文献が(サンスクリット引用)と言う理由です。「神を見るには、あなたは真正なる霊的指導者に近づかねばなりません。」そうでなければ、どうしてあなたは盲目の目で神を見ることができるでしょうか?

弟子:  しかし、科学者たちは、あなたが語っておられるような種類の見ることに対して何らの信頼も持っていません。彼らが信頼を置く唯一の種類の見方は、彼らが自分たちの目と、自分たちの顕微鏡と、自分たちの望遠鏡を通して集めることのできるものだけです。

SP:  なぜですか?もしも今あなたが空を見上げるなら、あなたはそれは空っぽだと思うでしょう。しかし、それは空っぽではありません。あなたの目には欠陥があります。空には無数の惑星と恒星(planets and stars)がありますが、あなたはそれらを見ることができません。あなたはそれらに対して盲目なのです。ですから、ただあなたが恒星や惑星を見ることができないからといって、これはそれらが存在しないということを意味しますか?

弟子:  科学者たちは、自分たちは幾らかの事柄について無知であることを認めます。しかし、それでも彼らは、自分たちが自分たち自身の目で見ることのできない物に関するあなたの説明を受け入れません。

SP:  なぜ受け入れないのですか?

弟子:  なぜなら、彼らはあなたが彼らに言うことは間違っているかもしれないと考えるからです。

SP:  それは彼らの不運です。私たちの鈍感な感覚は神に近づくことができません。主を知るためには、私たちは権威者から聞かねばなりません。それがより高い知識を得るための方法です。

弟子:  しかし、その段階は信仰を必要とします。グルへの信仰です。

SP:  信仰ではありません。常識です!もしもあなたが医学を学びたいなら、あなたは熟練した医者のところへ行かねばなりません。あなたはそれを自分だけで学ぶことはできません。

弟子:  シュリーラ・プラブパーダ、あなたがおっしゃることのすべてから、無神論者の科学者たちが彼らの考えを支えることができるのと同じように、私たちは私たちの考えを支えることができるのは明白です。しかし、彼らは社会を統御しています。彼らは支配的なのです。

SP:  支配的?(笑う)マーヤー(クリシュナの物質的なエネルギー)からの一蹴で、彼らのすべての「支配」は一秒で終わります。彼らはマーヤーによって統御されています。しかし彼らは自分たちは自由であると考えています。これは愚かさです。

弟子:  彼らは正気に戻りたくないのです。

SP:  したがって、彼らは悪者です。悪者とは、たとえあなたが彼は間違っていると証明した後でさえ、自分は正しいと主張する者です。彼は決して良い教えを受け取りません。そして、なぜ彼らは悪者でい続けるのですか?(サンスクリット引用)(BG7.15)なぜなら、彼らはドゥシュクリティナ、非常に、非常に罪深いからです。

あなたは、彼らがどのように屠殺場と売春宿の世界を作っているか、彼らがどのように感覚的な喜びを促進することによってすべての人の人生を駄目にしているのかが、分かりませんか?これらはみな、罪深い行いです。

そして、科学者たちは非常に罪深いので、彼らは地獄の最も暗い場所で苦しまねばなりません。彼らの来世において、彼らは糞の中の虫になるでしょう。それでも、無知のために、彼らは自分たちは安全だと考えています。 

第24章 神にノーベル賞を捧げなさい

シュリーラ・プラブパーダと彼の何人かの弟子との間の次の会話は、1974年6月に(スイスの)ジュネーブにおいて早朝の散策の折に交わされました。

SP:  このイチジクを御覧なさい。この一つのイチジクの中に、あなたは何千もの種を見出します。(訳注:何千もの種があります。)そして、それぞれの小さな種は、全く新しいイチジクの木です(a whole new fig tree)。さて、そのようなことを、まず木を作り、そしてそれから木に実を実らせ、そして次に果物に種を作らせ、それから最後に種にさらにもっと木を作らせることのできる化学者は、どこにいますか?私に教えてください。その化学者はどこですか?

弟子:  彼らは非常に誇らしげに語ります、シュリーラ・プラブパーダ。しかし、これらの化学者などの誰も、これらのことを何もすることができません。

SP:  かつて、偉い化学者が私のところに来て、認めました。「私たちの化学的な発達、私たちの科学的な発達は、吠えることを学んだ人のようなものです。非常に多くの自然な犬が既に吠えていますが、誰も何の注意も払いません。

しかし、もしも人が人工的に吠える芸を学んだら、おお、非常に多くの人々が見に行きます。そして、10ドルも20ドルも出して券を買うことさえします。ただ人工的な犬を見るためだけのために。私たちの科学的な発達は、このようなものです。」

(改行)もしも人が、例えば吠えることによって、自然の人工的な模倣をするなら、人々は見に行って、お金を払うことさえします。自然な吠えることに関しては、誰も気にしません。そして、これらの偉い、いわゆる科学的な悪者たちが、自分たちは生命を作ることができる、と主張するとき、人々はありとあらゆる賞賛や賞を与えます。神の完全な自然の方法、何百万も何百万もの(訳注:無数の)生命体が毎瞬生まれている方法は、誰も気にしません。人々は神の方法にあまり栄誉を与えません。

(改行)生命の無い物質的な化学物質から生命体を作り出すための何らかの非現実的な計画をでっち上げる愚か者は、彼はすべての栄誉を与えられます。分かりますか(you see)、ノーベル賞です。「おお、ここに創造的な天才がいます。」そして、自然は毎瞬、物質的な体に何百万もの何百万もの(訳注:無数の)魂を注入しています。神の配剤です。そして、誰も気にしません。これは悪事です。

(改行)たとえ私たちが、「あなたはあなたの実験室で人間あるいは動物を作り得る(訳注:could、斜体で強調。まず無理だがどうしてもというならできないこともない、というような含みがある。)」と仮定したとしても、あなたの栄誉は何ですか?

結局、一体の人間あるいは動物があなたによって作られ、何百万も何百万もが主によって作られます。ですから、私たちは、私たちが毎日見るこれらすべての生命体を本当に作り出しているクリシュナに栄誉をささげたいのです。

弟子:  シュリーラ・プラブパーダ、あなたは「すばらしい新世界」で遺伝子的に赤ん坊をふるいにかける方法を、(そして)ある特定の特質のために人間を培養する方法を予測した、オルダス・ハクスリーを覚えていらっしゃいますか?(訳注:Aldous Huxley、イギリス生まれのアメリカの作家。1894~1963。“Brave New World”、1932年に発表された小説。)

要点は、ある特質の血筋をとって労働者階級を培養し、別の特質の血筋をとって統治者の階層を培養し、そしてさらに別の特質の血筋をとって文化的な助言者や学者を培養する、というものです。

SP:  再び、それは既に神の自然な配剤の中に存在します。(サンスクリット引用)その性質と過去生における活動に応じて、人はこの現在の人生でふさわしい体を得ます。もしも彼が無明の性質と活動を培ったなら、彼は無明の体を得て、肉体労働によって生きねばなりません。

もしも人が競争的な(striving、競合的、闘争的)な熱情の性質と活動を培ったなら、彼は熱情の体を得て、他者の管理をすること、統治によって生きねばなりません。もしも人が啓蒙の性質と活動を培ったなら、彼は啓蒙された体を得て、他者を啓蒙し、助言することによって生きねばなりません。

(改行)ですから、分かりますか?神は既に非常に完璧な配剤をなさったのです。すべての魂が、彼が望み、そして彼にふさわしい体を受け取ります。そして社会秩序は、必要とされる特質を持った市民を受け取ります。

あなたがこれらの特質を培養しなければならないのではありません。主の自然な配剤によって、主は特定の魂に特定の種類の体を装備なさいます。なぜ神と自然が既に完璧に行っていることを、真似しようなどとするのですか?(訳注:why even try?強調表現)

(改行)私は、私のところを訪れたその科学者に言いました。「あなた方科学者たちは、あなたたちは時間を無駄にしています。」子供じみています。彼らは単に犬が吠えるのを真似しています。科学者たちは、本物の犬が本当に吠えているのには何の関心も払わず、何の栄誉も与えません。

実際は、それが今日の状況なのです。自然な犬が吠えるとき、それは科学ではありません。人工の、模造品の犬が吠えるとき、それは科学です。そうではありませんか?科学者たちが、どの程度であれ、主の自然な配剤が既にしていることを人工的に模倣することに成功した度合い、それが科学です。

弟子:  シュリーラ・プラブパーダ、科学者たちが「私たちは今では試験管の中で赤ん坊を作ることができる」と主張するのをお聞きになったとき、あなたはおっしゃいました。「しかし、それは既に母親の子宮の中でなされています。子宮は完璧な試験管です。」

SP:  はい。自然は既にすべてのことを真の完成度をもって行っています。しかし、一部のおごり高ぶった科学者は、みすぼらしい模倣をします。自然が供給する材料を使って、です。そしてノーベル賞を得ます。そして、実際に赤ん坊を作ることなど論外です(what to speak of)。科学者たちが彼らの誇る実験室で草の一本でさえ作るのを見ましょう。(訳注:作れるものかどうか、見ようではありませんか。)

弟子:  彼らは主と母なる自然にノーベル賞を捧げるべきです。

SP:  そうです、そうです。

弟子:  本当に、彼らはあなたにノーベル賞を捧げるべきだと私は思います。あなたは非常に多くの愚かな無神論者をとって、神の献身者を作り出しました。

SP:  おお、私ですか。私は「自然な犬」です。ですから、彼らは私には何の賞も与えません。(笑う)彼らは人工の犬たちに賞を与えるでしょう。

第25章 社会的な革命について

シュリーラ・プラブパーダと国連保健機構(WHO)職員との間の次の会話は、1974年6月に(スイスの)ジュネーブで交わされました。

SP:  世界全体で、あるいは世界中どこででも、ちょうど私たちがしているように、あなたはこの実験をすることができます。非常に簡素に生きる、自給自足する、必要な物を工場からではなく農地から得る。そして神の聖なる御名を讃える。

(改行)この産業的な環境の中で、資本主義者であれ、共産主義者であれ、ほんの一握りの有力者だけが幸せ、いわゆる「幸せ」でいます。他の人たちの犠牲の上でです。そして、これらの堕落した少数者によって他の者たちが搾取されているので、あるいは単に失業状態に置かれているので、他の者たちもまた堕落します。彼らはすべての仕事を避けようとし、じっと座っていようとします。そうでなければ、彼らは正直に働きません。そして、非常に多くの他の(悪い)こと(があります)。

(改行)ですから、唯一の治療法は、すべての者が自然に生きて、神の聖なる御名を唱えるべきである、というものです。神意識になりなさい。この治療法は単純です。そして、ここであなたは一部の結果を見ることができます。

私の若いヨーロッパ人とアメリカ人の生徒たち、彼らは麻薬と飲酒と喫煙と、非常の多くの他の現代的な悪い習慣に中毒していました。しかし今では、彼らがいかに真面目で(訳注:sober、酔っていない、健全で落ち着いた)、いかに主の聖なる御名を讃えているか、ご覧なさい。

(改行)あなたは世界を変えて、すべてを良くすることができます。ただし、あなたがこの教えを受け取るなら、です。他の治療法はありません。もしもあなたが(それに)耳を傾けないことを選ぶなら、何がなされ得るでしょうか?治療法、正しい薬がそこにあります。しかし、もしもあなたが薬を飲まないなら、どうして病が癒されるでしょうか?

WHO:  先ほどあなたは、不幸にして村人たちが都会へ出て行くことに触れました。あなたは、都会の暮らしでは村人たちは工場労働者になり、そして非常に多くの害悪がそれに続く、と指摘しました。そしてあなたは解決方法として、もしも私たちが村に住んで、たった3ヶ月だけ農作業をすれば(work the land)、私たちは一年中食べるだけの食べ物を得る、と提案しました。

(改行)しかし私は、私たちの町と村には膨大な失業があることを指摘したいのです。そこにいる多くの人々は、絶望を感じています。彼らは自分自身のために十分な食物を作ることができません。なぜなら、彼らは土地への(立ち入りの)権利(access to the land)を持たないからです。

商業的な人々がそれを自分たち自身の目的のために使います。そしてこれが、非常に多くの一般の人々が失業している理由です。これが彼らが都会に行く理由です。必ずしも都会の「良い暮らし」が彼らを魅了するわけではありません。そうではなく、彼らは土地への権利を持たないのです。

土地は商業的な人々によって使われており(校正:The land is not used by the mercantile groupが原文だが notは誤植)、そして一般の人々は、自由民として村に住んで自分たちにとって十分な食べ物を育てることができません。

(改行)今、商業的な人々(group)が搾取しています。彼らは搾取しています。ですから、この商業的な人々の力を制限することのできる、何らかの革命がない限り、どうやってあなたは、いつの日か人々が自分たちの村に住んで、土地で自分たち自身の食べ物を育てることができると望めるでしょうか?

SP:  要点は、政府は誰も失業していないように取り計らう義務があるということです。それが良い政府です。ヴェーダの体系では、社会は4つの自然な区分を持っています。ブラーマナ、すなわち思慮深い一団は、教え、助言します。クシャトリヤ、すなわち動的な一団は、守り、組織します。そしてヴァイシャ、すなわち商業的な一団は、土地と牛の世話をし、食糧の生産をつかさどります。そしてシュードラ、すなわち労働的な一団は、他の人々の手助けをします。

(改行)さて、これは、「政府は、他のすべての人々を守って、様々な集団が必ずそれぞれの義務を果たしているように取り計らう、動的なクシャトリヤから成るべきである」ということを意味します。政府は、誰もが正しく雇用されているように取り計らわねばなりません。そうすれば、失業の問題全体が解決します。

WHO:  しかし、現在では商業的な一団もまた、政府内にいます。事実、彼らは揺るぎないのです。彼らは政府内において非常に強い発言権を持っており、そして多くの場合、彼らは政府内で紛れもない役人です。

SP:  いいえ。それは悪い政府を意味します。

WHO:  はい、それは、、、それは本当です。

SP:  それは悪い政府です。商業的な一団は政府と何の関わりも持つべきではありません。そうでなければ、政府はどうして秘めた動機無くして(訳注:私利私欲に影響されずに、という意味)すべての人の雇用を取り計らうことができるでしょうか?

(改行)政府は、商業的な一団が彼らの創意を自由に使うことを奨励すべきですが、去来しては人々を失業させる不自然な産業を案出することを奨励すべきではありません。政府は、誰もが正しく雇用されているように取り計らわねばなりません。

WHO:  それが私が望んでいることです。クリシュナ意識が社会の姿を変える本当の革命的な運動になる日です。

SP:  はい。私はそれ(訳注:クリシュナ意識運動)は革命をもたらすと思います。なぜなら、アメリカとヨーロッパの人々は、それを心に深く刻んでいるからです。私はそれを彼らに紹介しました。そして、彼らは非常に知性的です。彼らはすべてを非常に真剣に受け取ります。

(改行)私たちはほんの2-3年だけ活動しています。そして、それなのに私たちはこの運動を世界中に広めました。もしも人々がそれを真剣に受け止めるなら、それは続いていくでしょう。そして、革命が起こるでしょう。なぜなら、私たちは思いつきで気まぐれに行動しているのではないからです。

私たちは、シャーストラ、聖典から権威ある指示を受け取ります。ここには非常に多くの情報があります。人々はこれらすべての本を読んで情報を得ることができます。もしも彼らがそれを真剣に受け止めるなら、それは革命をもたらすことができます。

WHO:  私が納得できない一つのことがあります。インド人として、その問いは非常に、非常に頻繁に私を悩ませます。私は、より簡素で、より自然な人生のあり方に戻ることについて、あなたがおっしゃった非常に多くの事柄を信じます。そして、私たちの霊的な側面に満足を見出すことについて(もです)。

それに関しては、疑問の余地はありません。私はよく言われる(what you would call)いわゆる「西洋化されたインド人」ではありません。しかし、私が納得できないのは、あなたが今ちょうど、すべての私たちの問題への解決策であるとお話しになった、この霊的な知識とすべての私たちの文化的な指針を持っていた私たちが、これらすべての指針を持ってして、私たちが自分たちの社会を、生じた非常に多くの害悪から自由でいさせることができていない、という事実です。

(訳注:あなたはたった今、「私たちの、この霊的な知識と様々な文化的な指針こそが、私たちのすべての問題への解決策である」とお話しになりました。しかし、私が納得できないのは、そのような指針を持っているにも関わらず、私たちの社会に様々な害悪が生じている、という事実です。)

私は、貧困だけを指しているのではなく、失業と、飢餓と、他の多くの事柄を指しています。

SP:  いいえ。それは私たちの文化的な指針のせいではありません。そうではなく、それらに従わない悪い指導者たちのせいです。それはこれらの悪い指導者たちが原因です。

WHO:  彼らは私たちの国民です(our own people)。彼らは、、、

SP:  彼らは私たちの国民であるかもしれません。彼らは私たち自身の父(訳注:斜体で強調)でさえあるかもしれません。プラーラーダ・マハーラージャは主の献身者でしたが、それなのに彼の父はヒラニャカシプ、真の悪魔でした。それでは、何がなされ得るでしょうか?ほとんどの人々は良いのです。それなのに、非常にしばしば、私たちは彼らの指導者が神を信じない(訳注:godless、邪悪な、罪深い)悪魔であるのを見ます。

WHO:  はい。ヒラニャカシプは滅ぼされねばなりませんでした。

SP:  ですから彼は滅ぼされました。神の恵みによって、彼は滅ぼされました。そして、これらの現代の悪魔的な指導者たちの一人一人、皆、彼らは滅ぼされます。彼らは滅ぼされます。しかし、すべては時間がかかります。

(改行)現在では、私たちの指導者はあまり良くありません。盲目です。彼らは何の知識も持たず、それなのに彼らは導いています。(サンスクリット引用)盲人が盲人を導く。溝に、です。これらの指導者たちは、世界のもともとの霊的な文化を殺しました。そして彼らは、その代わりを何も与えることができません。

WHO:  では、それなら、あなたの運動はそれ自身を社会哲学に関与させましたか?(訳注:あなたの運動は社会哲学に関与しましたか?)

SP:  はい。この運動は大変実際的です。例えば、私たちは肉食をしないことを薦めています。そして、指導者たちはそれを好みません。私たちは、彼らの思想宣伝にとってあまり好ましくありません。ですから、指導者たちは私たちを好みません。

結局、彼らは屠殺場と牛肉店をどこにでも、あちこちに(anywhere and everywhere)許可したのです。そして私たちは「肉食するな」と言います。ですから、どうして彼らが私たちを好むでしょうか?それが難しいところです。「無知が喜びであるところでは、賢明であるのは愚かである。」しかし、それでも私たちは努力しています。

(改行)そして、私たちが薦める代替案もまた実際的です。これらの神意識の農村は成功しました(proved successful、成功して正しさを証明した)。住人たちは、自分たちの人生を幸せで豊かであると見出しています。自然の恵みが果物と野菜と穀物を供給します。そして牛は牛乳を供給し、それからあなたはヨーグルト、チーズ、バター、そしてクリームを得ることができます。

ですから、これらすべての材料で、あなたは何百もの何千ものおいしい料理を作ることができます。そしてあなたは完全に満足したと感じます。それが基本的な原則です。

WHO:  それは成功した事業の一例です。しかし、かつて試みられたことのない、何か新しいことについて話していただけませんか?

SP:  「新しいこと」は、神意識の農村に暮らすこれらの人々が、日々の糧のためにはるばる通勤しなくてよいということです。現代の社会にとって、それは新しいことです。

(改行)現在では、ほとんどの人が工場や事務所まで幾らかの距離を通勤しなければなりません。鉄道ストライキがあったとき、私はたまたまボンベイにいました。おお、人々は非常に苦しんでいました。分かりますか?朝の5時から彼らは列車に乗るために行列に立っていました。

もちろん、ストライキの間はほとんど列車は走っていませんでした。ですから、人々は大変な苦労をしていました。そして、もしも一本や二本の列車が走っていたら、非常に多くの人々が自分を車両の中に押し込もうとしていました。自分の体を体当たりさせて入り込んでいました(smashing themselves in)。彼らは列車の上にさえいました。

(改行)もちろん、もっと産業的に発達した国々では、人々は車で工場や事務所に行きます。そして、高速道路でぶつかって死ぬ危険を冒します。ですから、問いは、なぜ(校正:Why→why)人は単に自分の生計を立てるためだけに、それほど何マイルも(訳注:何キロメートルも)通勤するように仕向けられるべきであるのか、ということです。これは非常に悪い文明です。人は食物を地元で得ねばなりません。それが良い文明です。

WHO:  私は、あなたの目標は食物に関して誰もが自給自足できるようになることであると理解します。しかし、もしもすべての人が食物の生産にいそしむなら、それなら誰が他のものを供給するのですか?

SP:  私たちは、誰もが食糧の生産にいそしむべきだとは言いません。バガヴァッド・ギーターによれば、自然にあなたは(訳注:社会は、という意味)食べ物を生産する部類の人々を持ち、霊的な指示を与える人々の部類を持ち、政府や王として管理をする人々の部類を持ちます。そして、その他の人々は他のすべての部類を助ける労働者です。

(改行)すべての人が耕作者になるのではありません。いいえ。脳の部門、管理の部門、そして労働者の部門もまた、なくてはなりません。これらの区分は、あらゆる社会の中で自然です。そして、それがすべてが霊的な発達(cultivation)のために一緒に働くべきです。 

第26章 社会的な体を癒すための大学(訳注:college、単科大学、あるいは総合大学の学部。「短期大学」ではない。)

シュリーラ・プラブパーダと彼の何人かの弟子との間のこの会話は、1974年3月にインドのヴリンダーヴァンで交わされました。

SP:  今日では、政治家の仕事は貧しい(poor、気の毒な)市民を搾取することであり、そして市民は恥をかかされ、苦しめられることになります。一方では雨が不足し、そしてそのため食糧の不足があり、そして他方では政府による過度の徴税があります。このようにして人々は非常に苦しめられるので、彼らは自分たちの家を放棄して森に行きます。

アートレヤ・リシ・ダーサ:  最近では、政府は単にお金を集め、何もしません。

SP:  政府の義務は、すべての人が自分の能力に応じて雇用されているように取り計らうことです。失業は皆無であるべきです。それ(失業)は社会において非常に危険な状況です。しかし、政府は人々を土地から引き離して、都会に引き寄せました。政府の役人の哲学は、「非常に多くの人々が土地で働くことが何の役に立つだろう。

その代わり、私たちは動物を殺してそれらを食べることができる」というものであるように見えます。それは全くとても容易です。なぜなら、今日では人々はカルマの法則、罪深い行いの避けられない結果を気にしないからです。「もしも牛を食べることができるなら、なぜ私たちは土地を耕すことに非常な苦労をすべきでしょうか?」これが世界中で起こっています。

アートレヤ・リシ・ダーサ:  はい。農民の息子たちは農業を放棄して都会へ向かっています。

SP:  あなたはこの「上がない、下がない」(topless, bottomless)という馬鹿馬鹿しさを知っていますか?(訳注:この表現は、文脈から判断すると、単に女性の全裸、すなわち無節操な性を指すのかもしれません。トップレスは俗語では様々な意味があり、女性が上半身裸の状態、あるいは何かの頭が切り落とされたような状態を指したりします。ブラーマナ不在の社会が底なしに転落する様子を表しているようでもあります。)

指導者たちはそれを求めています。彼らはホテルに女子大生を連れ込ませ、彼女たちを客に楽しませたいと思っています。世界中で人口全体が汚染されています。ですから、どうして人々は良い政府を期待することができるでしょうか?一部の人々は政府の指導権を握るでしょうが、彼らは汚染されています。

(改行)ですから、私たちがハレ・クリシュナ・センターを持っているところではどこでも、私たちは直ちに人々を訓練するための(単科)大学を設立すべきです。まず、彼らの自然な才能(知的、管理的、生産的、および労働)に応じてです。そして、すべての人が私たちが定める(to prescribe、規定する、処方する、命じる)霊的な活動を行うことによって、霊的な自覚に上げられます。

ハレ・クリシュナの真言を唱えること、バガヴァッド・ギーターから自己認識の科学を聞くこと、そしてすべてのことをクリシュナへの捧げ物として行うことです。すべての人の人生が至高主への献身奉仕になります。

(改行)同時に、現実的な事柄の運営のために、私たちは異なる社会的な部門を訓練しなければなりません。なぜなら、異なる種類の脳があるからです。非常に知性的な脳を持つ者たちは、ブラーマナ、すなわち僧、教師、助言者になるべきです。

他者の管理と保護に向いている者たちは、クシャトリヤ、すなわち役人と軍人になるべきです。食糧の生産と牛の世話をすることに向いている者は、ヴァイシャ、商人になるべきです。そして、他の者たちを補助することができ、手工業や工芸技術の仕事に就くことができる者は、シュードラ、労働者になるべきです。

(改行)社会的な体においては、ちょうどあなたがたの体におけるのと同じように、仕事の区分がなければなりません。もしもすべての人が脳(知識人)あるいは腕(役人)になりたいなら、それなら誰が腹部(農民)や脚(肉体労働者)として活動するでしょうか?すべての種類の職業が必要とされます。脳が必要とされ、腕が必要とされ、腹部が必要とされ、脚が必要とされます。

ですから、あなたがたは社会的な体を組織せねばなりません。あなたがたは、人々が至高主の自然な社会的な区分を理解するのを助けねばなりません。一部の人々は脳として、他の者は腕として、他の者は腹部として、そしてその他の者は脚として働きます。主な目的は、社会的な体を完全に健康な状態で維持することです。

(改行)あなたがたは、皆が必ずその人が向いている種類の職業に就いているようにしなければなりません。それは大切です。要点は、すべての種類の仕事は主への献身奉仕であり得る、ということです。主な点は、人々がその精神でそれぞれの仕事にいそしむように取り計らうということです。例えば、あなたが歩いているとき、あなたの脳は働いています。

「こっちに行きなさい。あっちに行きなさい。車が来ます。」そして、あなたの脳はあなたの脚に言います。「こっち側に来なさい。」さて、脳の仕事と脚の仕事は違います。しかし、中心となる点は一つです。あなたが安全に道を渡れるようにする、ということです。同様に、社会的な体の中心点も一つであるべきです。すべての人がクリシュナに奉仕する手伝いをする、ということです。

サツヴァルパ・ダーサ・ゴスヴァーミー(校正?:長音を示す横棒が子音の上にある):  この種類の(単科)大学は一般市民のためのものですか?

SP:  はい。誰でもです。例えば、工科大学はすべての人に開かれています。唯一の必要条件は、人々が訓練を受ける準備が出来ていなければならない、というものです。これが今、私たちの最も重要な計画です。なぜなら、世界中の人たちがこれらのいわゆる指導者たちによって、誤って導かれてきているからです。

子供たちはクリシュナ意識の小学校に通うことができます。そしてそれから、成長したとき、彼らは自分たちの職業的な仕事と献身生活における更なる発展のために、クリシュナ意識の(単科)大学に通うことができます。

アートレヤ・リシ・ダーサ:  私たちはビジネスも教えるのですか?

SP:  この現代的なビジネスではありません。違います。それは悪事です。ビジネスとは、あなたが豪勢に食べることができて、皆に配ることができるように、十分な穀物と他の作物を育てることができる、ということを意味します。人間と動物(特に牛)の両方にです。彼らが肉付き良く、強くなるようにするためです。そうすれば牛は牛乳を供給することができ、そして人間の共同体は病気に苦しむこともなくしっかり働くことができます。私たちは大小の工場(mills and factories)を開くことはしません。違います。

ヤドゥヴァラ・ダーサ:  シュリーラ・プラブパーダ、芸術と工芸はどこに分類されますか?現代の社会では、芸術家たちと音楽家たちは哲学者として受け入れられています。

SP:  いいえ。芸術家は労働者です。現在、あなた方の大学(colleges and universities)では、芸術と工芸に過度な比重を置いています。したがって、人口全体が労働者です。本当の哲学者はおらず、英知もありません。それが難しいところです。

すべての人が高い給料を得ることの魅力に惹き付けられています。彼らはいわゆる技術的あるいは科学的な教育を受け、工場で働く結果になります。もちろん、彼らは作物を育てるために畑で働くことをしません。そのような人々は哲学者ではありません。哲学者とは、完全真理を探し求めている者です。

(改行)あなたがたの西洋の国々では、悪者たちが犬にも知られている性の哲学について(本を)書いています。この種の哲学は、悪者によっては喜ばれますが、私たちは喜びません。完全真理を探し求めている者、彼が哲学者です。どうやって性交するかについて詳述している、この悪者のフロイトではありません。(訳注:Freud、オーストリアの精神医学者。精神分析の始祖)

西洋の国々では、人々は皆、下層階級になってしまいました。そしてフロイトは彼らの哲学者になりました。「ジャングルでは、ジャッカルが王になる。」それだけです。(訳注:ジャッカルは小型の犬科の動物。夜中に他の動物が殺した死肉の残りを漁る、とされる習性から、卑怯で卑しい人やペテン師などの比喩に使われる。。。でも、実際にはちゃんと自分で狩りをするそうで、なんだか可哀想です。)

(改行)このいわゆる西洋の哲学の中で、本当の知識は何ですか?西洋世界全体が産業のために、お金を稼ぐために、ずっと苦労しています。「食べて、飲んで、楽しく過ごす」。(校正:コンマ→ピリオド)酒と女。それだけです。彼らは下層階級よりも低いのです。これは、彼らを人間にするための試みがなされた最初です。(訳注:これは彼らを人間にするための初めての試みです。)

私が非常に強い言葉を使っていることを気にしないでください。それは事実なのです。彼らは動物です。二本脚の動物です。退けられた人々です。ヴェーダ文明は、彼らを低い者の中で最も低い者として退けます。しかし、彼らは更生され得ます。

(改行)西洋人たちは更生され得ます。ちょうどあなたがた西洋人が、私の生徒たちが更生されたようにです。あなたがたは、最も低い状態から来たにも関わらず、訓練によってブラーマナ以上になりました。誰にも妨げはありません。しかし、不幸にして、これらの悪者たちはこの機会を受け入れることに同意しません。

あなたが「もう不正な性交をするな、もう肉食をするな」と言えば、直ちに彼らは怒ります。悪者たちと愚か者たち。あなたが彼らに良い教え、教育を与えれば、直ちに彼らは怒ります。もしもあなたがヘビにおいしい牛乳とバナナを与えれば、結果は、彼は単に自分の毒を増す、というものです。

(改行)しかし、どういうわけか、クリシュナの恵みによってあなたがたは訓練を受けています(becoming trained)。あなたがた(訳注:斜体で強調)が、訓練されて、特にアメリカにおいて、西洋文明のすべての形態(pattern、様式、型)を改めなさい。そうすれば、新しい章が始まるでしょう。これが計画です。したがって、クリシュナ意識の大学が必要とされます。